EOS10D日記その17
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2007.3.31 欲しいレンズ11 Taylor Hobson Speed Panchro
テーラーホブソン社のH.W.リーが1920年にF2のOpicを設計した。1900年頃のプラナーの第一期流行の後、しばらく忘れられていたダブルガウス型レンズを、より屈折率の高いクラウンを使用することによりF2まで明るくすることに成功した。これからしばらくたって、何人かの設計者がリーに続いた。1925年にシュナイダーのトロニエがF2のクセノンを、1927年にはツァイスのメルテがビオターを、1933年にはライツのベレークがF2のズマールを設計した。1931年、リーが設計したF2スピード・パンクロ(Speed Panchri)は非常に好評で長年にわたり、標準レンズとしてハリウッドのカメラマンに愛用された。(”写真レンズの歴史”、朝日ソノラマを参照)
とういうことで、スピードパンクロを持っていないのはくやしいので、是非欲しいなと思っているわけです。ところが、そのスピードパンクロでEOSで使えそうなのが売ってないんです。50mmなら売っているのですが、バックフォーカスが短くてレンジファインダーでしか使えません。パンクロタールなら100mmくらいのがあるのですが。
2007.3.30 ヒルのスカイレンズ
一時はSigma 8mm Circular Fisheyeを標準レンズとして使っていた私は、魚眼レンズが好きです。魚眼レンズの歴史をひもといてみると、ヒルのスカイレンズが元祖のようです。以下は"写真レンズの歴史(朝日ソノラマ)”からの引用:
”魚眼レンズのもっとも早い例はロンドンのベックが1924年に製作したヒル(Hill)のスカイ・レンズ(Sky
lens)である。図10.6のように簡単な構成で絞りの後ろに2枚の単エレメントがある。暗かったが気象学者が全天を一枚に撮影するために用いたので問題とはならなかった。”
ヒルのスカイレンズが売っているのを見たことも聞いたこともありません。気象学者しか使っていなかったレンズですので、わずかな数しか作られなかったと思われます。まず入手できないでしょう。
ところが、写真工業4月号を読んでいたら、ヒルのスカイレンズにそっくりのレンズが出ているではありませんか。その名も”フィッシュアイタクマー 18mmF11”。ヒルのスカイレンズが3群3枚の円周魚眼であるのに対して、旭光学のフィッシュアイタクマーは3群4枚と前玉が貼り合せの対角魚眼です。多少違いはありますが、よく似ています。これは1963年発売ですので、40年を経て日本で復活していたのですね。写真工業4月号から引用:
”円周画面では一般の作画撮影目的に向かないため、通常撮影での長方形画面として、対角線方向が180°となるよう旭光学(現ペンタックス)が考案した「フィッシュアイタクマー 18mmF11」として実現する。現在フィッシュアイレンズの主流となっている対角線魚眼レンズの先駆けとなる。”
2007.3.29 甲子園での撮影
甲子園のアルプススタンドから高校野球を撮影すると、どれくらいの大きさに写るのか? もちろんレンズによって違いますが、私が持っているCANON
EOS 5D + EF300F4L IS USM + EF1.4X(エクステンダー)、つまり35mmフルサイズで合成焦点距離420mmの場合です。
アルプススタンドには応援団が陣取りますので、通常はアルプススタンドの上段で応援ということになります。あまりバックネットの方に寄ると、柱が邪魔になってしまうので注意。
ショートの守備はこれくらいに写ります。土が多すぎて、ちょっと寂しい感じですね。
バッターはこれくらいの大きさです。APS-Cのデジカメだと真ん中の枠の中になります。合成焦点距離が672mmになりますので、かなり寄れます。
応援団の前で撮影することもできます。カメラ位置が下がるので、バックが観客席になり、かなりにぎやかになります。
これは、レフトのポール付近からの撮影です。金網越しですので、コントラストが低下しています。雰囲気は出ます。
2007.3.28 HELIOS-40 1,5/85
ロシア製M39マウントのヘリオス40 85/1.5は、コマ収差が少ないことや、類似のジュピター9 85/2の構成図からエルノスター・ゾナー型と推定していたのですが、どうやら6群7枚のダブルガウス改良型のようです。”こだわりのレンズ選び”(写真工業)を見ていたらヘリオス40-2 85/1.5は6群7枚と書いてあったので間違いないと思います。やっぱり6群7枚だとダブルガウスのコマ収差はよく補正できるんですね。(現代の明るい標準レンズ50mmF1.4はほとんどが6群7枚です) ヘリオス40とヘリオス40-2の違いがよくわからないのですが、多分M39マウントとM42マウントの違いか、または鏡胴デザインの違いだと思われます。
”こだわりのレンズ選び”(写真工業)にはヘリオス40-2 (85mmF1.5)について次のように書いてあります。
” ロシアレンズファンならだれでも知っているクセ玉である。絞り開放からF2.8くらいまで口径食にもとづく円周ボケを発生し、目がくらくらと回ってしまう。しかし、モチーフの結像には問題はなく、開放から優しい画を作ってくれる。F4まで絞れば普通の柔らかなポートレートレンズとなる。(中略)ロシアレンズファン必携のレンズといえよう。”
私の感想もだいたい同じです。無限遠点光源テストではコマ収差が少ないのに、コマ収差の多いビオター75/1.5やキノプラズマット
90/1.5と同じような写り方をするので不思議です。M39のせいか、後玉はあまり大きくないので口径食があるのかもしれませんが、確認はできません。
ごちゃごちゃ書きましたが、安くて面白いレンズです。見た目も悪くないし、EOS用に簡単に改造できますので、おすすめの一本です。
2007.3.27 甲子園の思い出
昭和53年の春、比叡山高校(滋賀県)は前橋高校(群馬県)の松本投手に完全試合を許してしまう。そして昭和53年の夏、私の母校である滋賀県立膳所高校野球部が夏の甲子園出場を果たした。一回戦の相手は同じ群馬県の桐生高校。一年後輩たちが頑張って甲子園に出場してくれてうれしいのだが、またこてんぱんにやられるのではないかという心配が先にたつ。私は浪人中であったが、甲子園にかけつけたのであった。予想は見事に的中し、0-18で完封負け。確か4回にセカンド方向に飛んだゴロが内野安打になり、何とかノーヒットノーランを逃れた。これがエラーになっていたらと思うとぞっとする。長く低迷が続いた滋賀県高校野球であった。
翌年、夏の大会に出場した比叡山高校は順調に一回戦、二回戦を突破し、3回戦でまたまた群馬県の前橋工業と対戦した。今度は6-1で快勝し見事に準々決勝まで進んだ。これは滋賀県民が長く待ち望んだ快挙であった。
小学校のときに姉に甲子園に連れて行ってもらったらしいのだが、全く記憶がない。どうやら自分の知り合いが出ていない試合は、記憶から消えているようである。
2007.3.26 欲しいレンズ10 Meyer Makro Plasmat
”(ルドルフがMeyer社で設計したプラズマットのうち)性能が良かったレンズはこれ(ミニチュア・プラズマット)より前の1926年に出たF2.9マクロ・プラズマット(Makro
Plasmat)で、(ダブルガウスの)後ろ半分の3枚は完全に離れて空気間隔が入っている。このレンズは驚く程人気があり、長期間製造された”(写真レンズの歴史、朝日ソノラマ)
長期間製造されたと書いてある割には現存する玉数は少なく、現在でも人気があるので、高値で取引されています。安くていいのがあれば欲しいのですが、それは無理な相談のようです。
2007.3.25 さよなら負け
第79回選抜高校野球大会 第3日 第三試合 日大藤沢(神奈川) 3-4x 宇部商(山口)
1回の表、日大藤沢の2番村石君がピッチャー強襲ヒットで出塁。甲子園初打席でヒットを打つとはたいしたものです。これを見られただけでも、甲子園まで応援に行ったかいがありました。試合は息詰まるシーソーゲーム。9回表まで3-3の同点。9回裏、宇部商の林君の打球が3塁側の日大藤沢の応援団の前をゆっくりと飛んで行きました。ファウルか、フェアか。キーンという金属音を残して、無情にもレフトポール直撃の本塁打に。これで、無念のさよなら負けとなったのでした。
日大藤沢が勝ったら、勝利の瞬間を撮影させて頂いてQTVRパノラマ写真を作成し、ワールドワイドパノラマに投稿しようと思ったのですが、負けてしまったので断念。別の題材を探そうと思います。
2007.3.24 選抜高校野球
明日甲子園に日大藤沢高校(神奈川)の応援に行きます。大会第3日の第2試合。相手は宇部商(山口)。少年野球チーム明治オリオンズの2年先輩である村石君が出場します。がんばれ村石。いい天気だといいのですが。てるてる坊主。
2007.3.23 欲しいレンズ9 Dallmeyer Super-Six
スーパーシックスは大変人気のあるレンズで高価です。冩楽彩に詳しい解説と作例があります。日本のカメラ屋さんではあまり見ませんが、海外の通販では見つけられます。次のような焦点距離のものがあるようです。
1.5in(32mm)/1.9
2in/1.9
2.5in/1.9
3in/1.9
3.25in/1.9
4in(83mm)/1.9
典型的な4群6枚のダブルガウス型で、絞り開放では柔らかく甘い描写、絞ればシャープ。味わい深いレンズだそうです。
2007.3.22 欲しいレンズ8 スチグマチック第I類 F4
F6のスチグマチック第II類はうちにもありますし、時々店でも見かけるのですが、F4の第I類は全く見たことがありません。カメラ屋さんなどに聞いても手がかりが得られません。第I類の断面図は書籍によって若干異なります。是非本物を分解してみたいのですが、何しろ売っていません。このレンズは1895年(明治28年)発売です。ツアイスのアナスチグマットやクックのトリプレットよりは少し遅く、ヘリヤーやプラナーIaやウナーやテッサーよりは少し前です。もしスチグマチック第I類
F4をお持ちの方がおられましたら、是非写真を見せて下さい。
このレンズのことは寺崎さんのR.KONISHI ROKUOH−SHAに詳しく出ています。
2007.3.21 欲しいレンズ7 Astro Berlin Tachar
こちらも高いです。やはり何だかよく分かりません。結構いろいろあります。人気が高いので、きっと素晴らしいレンズなのだと思います。
Gauss-Tachar 32/2
Makro-Gauss-Tachar 40/2
Pan-Tachar 50/1.5
Tachar 50/1.8
Tachar 50/2
Pan-Tachar 50/2.3
Gauss-Tachar 75/2
Gauss-Tachar 75/2.3
Pan-Tachar 100/2.3
Pan-Tachar 125/2.3
Tachar 150/1.8
Pan-Tachar 150/2.3
2007.3.20 欲しいレンズ6 Kinoptik Apochromat
人気も値段も非常に高いアポクロマートです。なんだか良く分からないのですが、ちょっと調べただけでも次のようなものが売りに出ていました。どれがよいのか分かりませんが、75/2か100/2かなぁ。できれば早く使ってみたいレンズです。
Apochromat 35/2
Apochromat 40/2
Apochromat 50/2
Apochromat 75/2
Apochromat 100/2
Apochromat Macro 100/T2.5
Apochromat 150/2.5
Apochromat Macro 150/T3
2007.3.19 欲しいレンズ5 Cooke Technicolor 75/2
まだカラーフィルムが無い頃、テクニカラーという方法でカラー映画が撮影されました。レンズから入った光をプリズムで2本に分光します。白黒フィルム3本(そのうち2本は重ねてあったらしい)にRGBを別々に撮影したそうです。このプリズムが厚さ44mmほどあったため、バックフォーカスの長いレンズが使われました。44mmというとEOSのフランジバックと同じですから、必ずEOSで使えるはずです。テクニカラーカメラはわずか22台しか作られなかったという説もあります。
2007.3.18 欲しいレンズ4 Miniature Plasmat F2.7
(ミニチュア・プラズマットは)前群は通常のガウス型で後群はプラズマットの後ろ半分を用いている。このレンズは特に良いところもなかったので、すぐに製造打ち切りになった。(写真レンズの歴史、朝日ソノラマ)
と書いてあるのですが、ミニチュア・プラズマットを見たことはありませんし、Webでも全く検索できません。この辺に詳しいカメラ屋さんに聞いてみても、やはり見たことはないとのこと。幻のレンズのようです。売りに出たとしても買えるような金額ではなさそうです。しかし、冷静に考えると、プラナーの前玉とザッツ・プラズマットの後玉を組み合わせて、特によいところのないレンズを組み立てればいいわけですから、これはすぐに作れます。別に買わなくてもいいのかもしれません。でも、いったいどんな外観のレンズなのか見てみたい。
2007.3.17 欲しいレンズ3 Angenieux 75/1.8
Angenieux 75/1.8 Type S3
アンジェニューの中でもレアなレンズだそうです。アンジェニューのレンズは一本も持っていません。28mm,
35mm, 90mmなどが一般的なので迷うところですが、3本買うお金があったら、75mmを買えるかもしれません。これもどんな写りか見たことありません。75/3.5
Z3ですら見たことありません。 (m13)
2007.3.16 欲しいレンズ2 Ennalyt
Enna Ennalyt 85/1.5 または Lithagon 85/1.5 (Exa)
85mm F1.5というのは魅力的なレンズが多いのですが、高いのでなかなか買えません。一番安いのは、この前買ったロシヤのヘリオスです。安くはないが、何とか買えそうなのがEnnalytです。
どんな写りなのかは知りませんが、Ennaを買うならこのあたりからと思っています(ex5)
2007.3.15 欲しいレンズ1 Solid Cat
PERKIN-ELMER SOLID CAT 800/11 (T mount)
買ったレンズを紹介するというのは、そうそう続くものではありません。そこで、欲しいレンズのリストを作ることにしました。これなら無料ですので好きに書けます。
まずはパーキンエルマー社のソリッドキャットです。このレンズは反射望遠ですが、2枚の反射鏡の間をガラスで埋めています。このため大変重いレンズです。何でこんなことをするのかは分かりませんが、とにかくユニークなレンズです。なぜこのレンズを一番に書いたかというと、20年ほど前、パーキンエルマー社の半導体製造用電子ビーム露光装置用にデータを変換するという仕事をやったことがあるためです。半導体製造装置メーカーだとばかり思っていたのですが、一般用の写真レンズを作っていたことに驚いたわけです。(cc15)
2007.3.14 忙しい
2年ぶりに忙しくなりました。日記を書いている暇がない。実際には日記を書く暇くらいはあるのですが、ねたを作る時間がない。何か連載できるネタを探さなきゃいけないですね。
ところで、まだ禁煙は続いています。約3ヵ月半。でも、禁煙については特に書くことがないので、ネタにはならないなぁ。
2007.3.9 花粉症
一昨日生まれて初めて花粉症のような症状が出ました。午後3時ごろ、急に激しいくしゃみと鼻水が出ました。特に鼻水がひどく、鼻にティッシュを詰めてもなお、はなたれ小僧。昨日も同じ症状だったのですが、今日はすっかり直りました。どうやら急性花粉症だったようです。鼻水が出ないってすばらしい。
2007.3.8 久しぶりの日本カメラ
久しぶりに”日本カメラ”を買いました。もうすぐ4月号が出るというのに、3月号です。いつも通りの無難な記事が続くのですが、”今月のお店回遊2007"という記事を見て驚きました。子安のラッキー商会が出ているではありませんか。おじさん、にこやかに笑ってるし。まあ、面白い店です。説明は難しいのですが。
2007.3.5 プラナーに関する勘違い
昨年10月27日に次のように書いたのですが、これは誤りだったことが分かりました。
ツアイスの電話帳によるとプラナー 1aの出荷本数は次の通り。(VIII類は除く)
1890-1900 記載なし
1900-1905
1,622
1905-1906 324
1906-1907 329
1907-1908 210
1908-1909
188
1909-1910 284?(表の見方が良く分からない)
1910-1911
記載なし(ほとんどの出荷がテッサーです)
この後プラナーは姿を消し、Carl Zeiss
Jenaの電話帳で本格的に復活するのは、1957年、ローライフレックス用に75/3.5を45,000本出荷した時のようです。
寫楽彩によると、Planar100mmf4.5が1922年から1927年にかけて129本と、 5cm 4,5が50本ほど作られたようです。なぜここで一旦復活したかですが、私の推測では1920年にテーラー・ホブソン社のH.W.リーがプラナーを改良したOpic F2.0を出したせいじゃないかと思います。このあたりの歴史は2006.8.21の日記をご覧下さい。
2007.3.3 銀座
先週銀座松屋の世界の”中古カメラ市”に行った時にブロニカヘリコイド版Tessar 8cm で撮影した写真です。絞りはすべて開放F2.8。
ショーウィンドウ。
ピクセル等倍に拡大。まあ、こんなものですね。頑張っているんじゃないでしょうか。
ショーウィンドウ2
花屋の店先。
結局何も買わずにてぶらで帰りました。エミールブッシュのパントスコープがあったのですが、値段が高すぎて買えません。パントスコープについて”写真レンズの歴史” (ルドルフ・キングズレーク 雄倉保行訳) ”球形レンズに形は似ているが性能の良い物に、1865年にエミール・ブッシュが設計したパントスコープ(Pantoskop)がある。球形レンズに比べて各部品のカーブがきつく、像面は平らでF25で、画角±40度まで非点収差を完全に補正してある。”
2007.3.1 ブロニカヘリコイド版エルマリート90mm
めずらしく忙しくてカメラで遊んでいる暇がありません。これはかなり前に作ったものです。今週こそ撮影に行きたいものです。
エルマリート90mmは以前別のヘリコイドに入れたのですが、美しくないのと、使いやすくないので、ブロニカヘリコイド用に改造しなおしてみました。
これは使いやすい。でも当分出番はなさそうです。キノプラズマートのような癖玉になれると、エルマリートのような穏便なレンズはかえって使いづらいですね。Webで小さな写真を掲載しても、どのレンズで撮影したか良く分からないと思われます。
2007.2.27 ブロニカヘリコイド版ヘリヤー18cm
長焦点用のブロニカヘリコイドを作って、ヘリヤー18cmを取り付けてみました。動きはスムーズですが、コントラストはやっぱりだめですね。筒の中に反射止めを入れたのですが、あまり改善が見られません。長い玉のヘリコイドを作るのはやはり内面反射対策が大変です。
組み立て自体はガムテープをくるくると巻いておしまいなので簡単なのですが、
やっぱり実用にはならないかなぁ。普通に蛇腹で使うのがいいようです。
2007.2.25 パントスコープ
今週末は忙しくてほとんど撮影できず。松屋銀座の第29回世界の中古カメラ市には行ってきたのですが、特に何も購入せず。魅力的なエミールブッシュのパントスコープ125mm
F24(多分)があったのですが、値段が高くて断念。
2007.2.22 札幌雪祭り
keijiさんのパノラマジャーニーの札幌雪祭りと小樽雪あかりの路のQTVRが出ています。QTVRだと雰囲気がとても良く分かるので紹介します。雪祭りは以前から一度行ってみたいと思っているのですが、まだ果たせていません。北海道も暖冬のようですが、それでもやはり寒そうです。
ちなみに私の禁煙はまだ続いています。いまのところ約3ヶ月。
2007.2.21 Linhof Planar
Planar 1:2.8 f=100mm Carl Zeiss Nr 1344201
オーバーコッヘンのツアイスでプラナーを作り出したのは1953年からのようです。ローライフレックス用に12、000本ほど80/2.8が1953年に出荷されています。その次にプラナーが出荷されたのが1954年で、100/2.8が500本リンホフに出荷されています。このレンズはそのうちの一本です。同年からコンタックスやアリフレックスにも出荷されています。ハッセルCに80/2.8の出荷が始まるのは1955年くらいからのようです。
後玉を見ると貼りあわせ面が見えます。カメラ屋さんはビオメタール型と言っていたのですが、後玉に貼り合わせがあるのはなぜ?
一方、前玉の2群を見ると、貼り合わせがありません。そうです、これは後玉だけ貼り合わせのある逆ビオメタール型だったわけです。この型は多分初めてです。
前玉は分解できますが、後玉は分解できません。これで謎が解けました。カメラ屋さんは第一世代のプラナーは前玉が大きくて出っ張っていると言ってました。ところが私の持っている1890年代のプラナーは第一世代のはずなのに、そんなことはありません。理解できないで生返事をしていました。そうです、カメラ屋さんのいう第一世代とはオーバーコッヘンの第一世代だったわけです。逆ビオメタール型なので、前玉が出っ張っているわけです。私の言う第一世代はイエナの第一世代です。対称型のダブルガウスなので前玉は出っ張っていません。年代差約50年。話がかみ合わないのは当然ですね。
前玉の枠に手書きで何か書いてあります。K1 0 21122でしょうか? 意味不明です。
とりあえずブロニカのヘリコイドに入るように改造しました。レンズボードの裏にブロニカの中間リング2番を貼っただけですが、これで問題ないようです。
レンズボードがついたままなのは異様ですが、これをはずしてしまうと、絞りがうまく動かなくなるので、そのままにしてあります。
ちなみにこのレンズ前玉に拭き傷が多いので格安でした。きれいなものの1/5くらい。この頃のレンズは柔らかいので、すぐに傷がつくようです。
2007.2.19 Summarit 5cm 1.5
昭和26年頃製造のズマリットです。分解を試みたのですが、うまく行かない。ヘリコイドまでは抜けるのですが、そこから先が全く進まない。困った。マイナスネジの溝が浅くて困ります。
スマールでいい感じのマクロが撮影できたので、大口径のズマリットでさらに追求する目論見。少くもりありで大変安かったのですが、私が見たところでは、大変きれいなレンズです。
分解できないので、ヘリコイドの無限遠ストップノブがつっかえて、ブロニカのヘリコイドには入りません。やむを得ず、自家製蛇腹を使うことにしました。
F1.5開放です。ものすごいボケ方ですね。
F4.0まで絞ると普通ですね。
2007.2.18 ブロニカヘリコイド版ペリスコープアルファ
Ica Periscop Alpha をブロニカヘリコイドに入れてみました。
以前、手製の蛇腹に入れていたレンズは全部簡単にブロニカヘリコイドに入るのでした。
2007.2.17 K.P.GOERZ PLANAR
K.P.GOERZ PLANARをブロニカのヘリコイドに入れてみました。1A AUTOGRAPHIC KODAKについていたレンズです。
一度使ったきり、お蔵入りになっていました。
39mmスクリューマウントに変換済みですので、これをさらにブロニカに変換。取り付けは至って簡単です。
大陸手札版(9cm x 12cmくらい)用のレンズです。
2007.2.16 Summar再改造
改造版ズマールはすばらしい写りなのですが、レンズをカメラからはずしにくい、マクロ倍率が足りない、ずさんな改造などの難点があり、再改造しました。
今度はきれいに作りましたが、ちょっとレンズが前に出すぎのような気もします。
EOSには似合わないですが、写りは最高です。身近にある花でも手軽に遊べます。
2007.2.15 ブロニカヘリコイド版 べス単
ブロニカヘリコイド対応レンズの量産体制に入りました。
コダックのべス単です。一年ほど前に買ったものですが、全く使っていなかったので、ヘリコイドで復活させてみました。
結構長焦点です。110mmくらいのようです。
2007.2.14 ブロニカヘリコイド版Tessar 8cm
レフレックス コレレから取り外したTessar 8cmをブロニカのヘリコイドに入れてみました。
8cmだとヘリコイドの中にレンズを押し込む必要があります。ブロニカのスクリュー(オス)の中に適当な筒を叩き込んで、そこにTessar
8cmをネジ止めします。ネジが長すぎて3本打つとヘリコイドに入らなくなってしまうので、やむを得ず一本のネジで止めてあります。前にやったHektor
73mmとほぼ同じ方法です。
前から見るとこんな感じです。レンズがずっぽりブロニカのヘリコイドに入っています。
後ろから見るとこんな感じです。レフコレのミラーと当たらないように、鏡胴が斜めに切ってあります。
EOSに取り付けたところ。実はこのレンズにはヘリコイドが入っています。ただ、あまり回しやすくありません。ブロニカのヘリコイドに入れたところ、格段に操作性がよくなりました。レンズのヘリコイドで無限遠調整が簡単にできるので、2重ヘリコイドもまんざら無駄ではありません。
2007.2.13 Summar 5cmの沈胴の中の絞り
沈胴Summar 5cmを分解して驚いたのは、絞りの構造です。沈胴する細い筒の中に巧妙な絞りがあります。まず、絞りが平面ではなくドーム型になっているのに驚きました。絞り羽根を斜めに収納することで開口面積をかせいでいるようです。次に絞り羽根の形が変わっているのに驚きました。”く”の字の羽根があります。
前玉(2群)の凹レンズの局面に沿って絞りがあるように見えます。
最初6枚羽根だと思ったのですが、良く理解できません。
2007.2.12 ミノルタSRの中間リングはブロニカSと同じ
ブロニカSのヘリコイドは焦点距離の短いバレルレンズに使えるので重宝しています。ただ、スクリューの中間リングが入手しにくいのが難点です。Webで調べていたら、ミノルタSRの中間リングと同じネジなので流用できると書いてありました。ミノルタSRの中間リングには細いのと太いのの2種類があり、太いほうがブロニカSと同じであることを確認しました。ミノルタSRの中間リングであれば、ブロニカSよりは入手しやすく、値段も安いので助かります。
左側がブロニカSの中間リング。右側がミノルタSRの中間リング。見た目も良く似ています。
これでしばらくブロニカSのスクリューでは困らないで済みそうです。。
しかし、ミノルタSRの中間リングがなぜ6x6cm判と同じ太さなのかは不明です。太ければ太いほど良いのですが、ちょっとオーバースペックかもしれません。
2007.2.11 Summar f=5cm 1:2
Summar f=5cm 1:2 No335888 Ernst Leitz Wetzler
1936年(昭和11年)製造の沈胴ズマールです。ズマールに80mm4.5, 120mm4.5があるのは知っていたのですが、暗くて多分シャープだと思われるため、EOSで無限遠は出なくてもいいので一般的な5cmF2にしました。それに他のズマールより圧倒的に安かったせいもあります。前玉の裏に少し曇りがあるのですが、気になるほどではありません。
良く見ると難点はあるのですが、まあ写りには関係ないでしょう。とりあえずEOSに取り付ける実験だけですので。
レンズを引き出して撮影可能にしたところ。かなり使い込まれた由緒正しきズマールのようです。
ぱっと見、EOSだと1mより向こうにはピントは合わないですね。EOSとライカスクリューのフランジバックの差が15mmで、10mmくらいなら後ろに下げられそうなので、後5mm足りません。
分解図。第2群ははずれませんが、清掃は簡単にできます。沈胴がスムーズなのはフェルトのようなものが入っているせいです。ところがこれがあるために、一旦ヘリコイドからレンズを抜いてしまうと、元に戻すのが大変。一番後ろの撮影時にレンズをロックする金具がはずれなくて困りました。金槌でやさしくたたいてやると、固着していた部分が緩み、ねじが回せるようになりました。
後玉に+4 xxxと書いてありますが、読めません。ライツのレンズには手書き文字が多いですね。
EOSマウントに組みなおしたところ。ガムテープで太さを調整して、押し込んだだけですので、いつでも元に戻せます。
なかなかユニークな姿。
1mまで写るとの目論見でしたが、実際には80cmくらいまでのようです。それでもマクロならズマールらしい雰囲気の写真が撮れます。フォーサーズならもう少し向こうまで写るでしょうが、無限遠がでるかは微妙なところだと思います。
2007.2.10 HELIOS-40 1,5/85 (M39)
HELIOS-40 1,5/85 No633370
初のロシアレンズです。M39ゼニットマウント。今まで敬遠していたのですが、3本ほど覗いてみたところ、一本だけまともなのがありました。だめなレンズは値段が高く、まともなレンズがかなり安かったので、割とすんなりと決まりました。だめなレンズはファインダーを覗くと誰でもすぐに分かるくらい激しくだめでした。
前面の刻印はあっさりしたものですね。
ロシア製。輸出用なのか、ロシア語は全くありません。
すごく大きくて重いです。どうみてもゾナーですね。ヘリコイドがやたらと硬いのもゾナーに似ています。無限遠の点光源でもひどいコマ収差は見られず、多分ゾナー型だと思われます。写真工業2004年5月号にJupitar-9(85mm
F2)の断面図が出ていますが、これと同じように思えます。
このレンズが安かったのは、多分M39ゼニット--->M42変換スクリューがついていなかったせいだと思われます。高いほうの2本にはついていました。M42変換スクリューは一見M42-EOSアダプタが使えて便利そうですが、実はそうではありません。硬いヘリコイドを回すと、アダプタが回転してしまいます。これではピント合わせができません。スクリューを思い切り締めると、はずれなくなります。それより、EOSマウントを直貼りしてしまった方が安くて確実です。EOSマウントなら何でもいいと言うわけではありません。キヤノンやシグマのレンズから取り外したマウントは厚さが2ミリもあって、厚すぎて無限遠が出ません。EOSとM39=M42のフランジバックの差は1.5ミリですので、これ以下の薄いものを探したら、ありました。タムロンです。タムロンのマウントはえらく薄いので、これを使いましょう。
完成したEOSマウントのHELIOS-40。
2007.2.6 SOLIGOR 1:2.8 f=135mm (M42)
AUTO SOLIGOR 1:2.8 f=135mm 55φ No. 778092
ソリゴールはミランダの輸出用ブランドだと聞いたことがあるのですが、詳細は不明。絞りが壊れているためジャンクで1500円也なのですが、どう見ても新品です。
外観も全く傷はなし。絞りリングを回しても、絞ることはできず、開放のまま。
最初ヘリコイド部品取り用に買ったのですが、絞りが直ってしまったので(完全ではありませんが)、試写したみたいと思います。マウントはM42なので、アダプタでそのまま使えます。
2007.2.5 ブロニカのヘリコイドは2種類ある
ブロニカのヘリコイドが2種類あるので比較してみました。仕様的には全く同じもののようです。
左側のものの方が強度がありそうな感じです。右側はシンプル。
左側は75/80/100mmの距離目盛りが書いてあります。右側は50/75/135/200mmです。ということは右側の方が新しい?
2007.2.4 CANON 100mm F2 スクリューマウントの背景
1936年にセイキ キヤノン標準型(純国産による初の35mmフォーカルプレーンシャッター式距離計連動カメラと言われる)を発売したキヤノンは1937年にレンズの自社開発を考え始める。戦争の拡大によって、日本工学からのレンズ供給が滞ることを恐れたのであろう。日本光学の協力により、1939年9月にレンズの試作に成功した。その後、50mm 0.95など数々のライカスクリューマウントのレンズを開発する。キヤノンは1968年9月のキヤノン7S製造中止をもってレンジファインダーカメラから撤退する。1959年(昭和34年)5月、初の35mm一眼レフカメラ「キヤノンフレックス」が発売された。同年6月には日本光学が「ニコンF」を発売している。この頃、時代は既に一眼レフに向かっていた。
100mm f:2は1959年1月の発売。発売時価格33,000円。「キヤノンフレックス」発売の4ヶ月前である。このため、レンジファインファーでも一眼レフでも使用できるよう、2種類のヘリコイドが準備されたのであろう。
2007.2.3 CANON 100mm F2 スクリューマウント
CANON LENS 100nn f:2 Canon Camera Co. Japan No. 12021
SUMMICRON 90mmF2はレンズ部とヘリコイド部を分離でき、ローライフレックスSL66Eでも使えると本に書いてあり、興味をひかれました。ただ、少々お高いのと、割と一般的なレンズのようですので、購入は見送ることにしました。これに変わるレンズを探したところ、キヤノン100mm
f:2を発見。このレンズはライカスクリューマウントですが、レンズ部が分離でき、専用のフォーカシングアダプタを介して、一眼レフにも装着できます。
レンズの状態は完璧です。ふたがユニークです。丸みがあって面白いのですが、暗闇で触ると前玉を直接触ったと勘違いするので、最初はちょっと驚きます。
一見普通の外観なのですが、
ここでヘッドとヘリコイドを分解できます。あまり知られていないようで、お店で分解していいかと聞いたら、断られました。分解図が出ている本を見せて、やっと了解をもらいました。
最初、ブロニカのヘリコイドに入れようとしたのですが、太すぎて入りません。大口径なので、しょうがないですね。次に、ペンタ67のヘリコイドを使うことを検討したのですが、うまく固定できません。100mmのくせにバックフォーカスが短く、レンズの後端からEOSのマウント面までわずか7-8mmしかありません。これは困った。
だいぶ悩んだ末、ヘリコイドの切断を決意しました。その前に一応分解してみたところ、簡単にここまで分解できるではありませんか。これなら切断しなくても何とかなりそうです。
ネジを6本抜くと、スクリューマウント部分だけが分離でき、約15mmヘリコイドを短縮できます。これはほぼライカスクリューマウントとEOSマウントの差ですので、EOSで無限遠が出せそうです。
ライカスクリューマウントの代わりにEOSマウントを瞬間接着剤で取り付ければ、何とバッチリ無限遠が出たのでした。EOSマウントはキヤノンのレンズから取り外して下さい。シグマのものは微妙に形が違うのでうまくいきません。これは偶然か、それともキヤノンの思惑か? このレンズの発売は昭和34年。EOSの開発が昭和60年頃。偶然と考えるのが自然でしょう。
こんな格好です。スマートにできたのはいいのですが、手作りらしくないですね。誰もライカスクリューマウントから改造とは気づかないでしょう。
普通ですね。外観にもうちょっとインパクトが欲しいところです。
”世界のライカレンズ Part 2”(写真工業出版社)の 51ページに、"開放で使うと全体にフレアっぽく、コントラストは低め”と書いてあったので、期待したのですが、EOS
5Dで使ったところ、そんなことはありませんでした。開放からコントラストが高く、しっかり解像しています。
ピクセル等倍。大口径なので、ピントあわせも楽です。よく写りすぎるのが難点。