EOS10D日記その23

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2008.3.22 アッベ博士の時代(8) 機関銃

”「ガットリング銃」とよばれる最初の機関銃は、1860年代のアメリカ合衆国の南北戦争の副産物であった。これとは別に、フランスで機関銃が考案され、これは1870〜71年のドイツとの戦争に使用された。このふたつのものが、機関銃や機関砲の祖先であった。やがて1889年、イギリスの「サー」の称号を持つアメリカ人、ハイラム・マクシムが、文字どおり自動的な機関銃を発明し、これが広く用いられるようになった。”(帝国主義の開幕 中山治一著 河出文庫から引用)

カメラやレンズと同じ時期に兵器もまた発達しました。当然戦争も変わったようです。いくら勇敢な兵士であっても、機関銃には勝てないのです。つまり、その国の工業生産力や資金力がその国の軍事力であり、国力となったわけです。それまでは限られた軍人だけしか武器を持てなっかのですが、大量に安く武器を作れるようになったわけですから、農民であろうと、老人であろうと、少年であろうと、薬師丸ひろ子であろうと、だれでも機関銃を持って戦えるようになりました。


2008.3.21 アッベ博士の時代(7) 電気通信

有線電信事業は鉄道とともに発展し、1870年(明治3年)にはヨーロッパとインドおよび極東の間に電信通報関係が結ばれた。1876年(明治9年)には、グラハム・ベルにより電話が発明され、すぐさまヨーロッパとアメリカで実用化され、急速に普及した。1896年(明治29年)にはマルコーニが無線通信装置を発明し、1901年(明治34年)には大西洋を越えて”S”という一文字が送られた。(帝国主義の開幕 中山治一著 河出文庫を参照)

これは画期的ですね。もう飛脚や早馬や伝書鳩を使わなくてもいいのです。これが世界の政治、経済、そして戦争を大きく変えたのだと思います。ちょうどアッベ博士の生きた時代のできごとです。


2008.3.20 アッベ博士の時代(6) ロスチャイルド財閥

昨日ロスチャイルド財閥を出して脇道にそれてしまったので、ついでにもう少し書きます。ロスチャイルド家は産業革命の波にうまく乗り、さらに莫大な利益を上げることになります。”ロスチャイルド家”(横山三四郎著、講談社現代新書)から引用します。

”フランスの鉄道建設のパイオニアとして”鉄道王”の異名をとったパリ分家のジェームズの息子、アルフォンスが目指したのは、当時の最先端産業である石油である。石油ブームはそれまで油の供給源であるクジラが乱獲で減ったことを背景に、アメリカ・ペンシルバニアでの油田発見に始まり、ダイムラーのガソリンで動く内燃機関の発明(1883年)で爆発的なものとなった。まだ中東の油田が見つかっていなかったころで、ヨーロッパではカスピ海のバクー油田が最大のものだった。アルフォンスは1883年、ロシア政府の財政困窮を助ける公債発行を引き受けた見返りに、コーカサス地方のバクーでも最大級のバニト油田を入手した。”

この話には先があって、1914年にバクー油田をロイヤル・ダッチ・シェルに売却した3年後、ロシア革命によりバクー油田はすべてレーニンに接収されてしまいます。見事な売り逃げであります。


2008.3.19 アッベ博士の時代(5) 郵便

汽船、鉄道、自動車など交通機関の機械化によって、郵便事業が可能となり、1874年(明治7年)に「万国郵便連合」が設立されます。それ以前はロスチャイルド家の早馬、馬車、快速船などによる情報ネットワークが一番速かったようです。ワーテルローの戦いで、ロスチャイルド家の三男ネイサンが大儲けしたのも、これによるものでした。”ロスチャイルド家”(横山三四郎著、講談社現代新書)から引用します。

”ワーテルローでもしナポレオンが勝てば、イギリスの運命は風前の灯となり、その国債は暴落して紙切れ同然となる。反対にウェリントンが勝てばイギリス国債は暴騰するだろう。歴史はどう展開するのか。イギリス中が天下分け目の戦いの行方を凝視していたとき、ロスチャイルド家の情報網がいち早くナポレオンの敗北を伝えた。1815年6月19日夜遅く、オステンド(現ベルギー)からウェリントンの勝利を伝えるために船に飛び乗った使いのものを20日未明、ドーバー海峡に出迎えたネイサンはただちにロンドンの証券取引所に向かった。ウェリントン将軍の飛脚よりはるかに早かった。証券取引所に姿を現したネイサンはしかし買いに走らなかった。逆に売って出たのである。その前のキャトルブラの戦いでイギリスが敗れたという情報ですでに下落していた公債市場は、ネイサンが売りに出たのをみて、”ウェリントンは敗れた”と受け止めてパニックに陥った。相場は暴落に暴落を続けた。そしてワーテルロー勝利のニュースがまさに広まろうとするとき、ネイサンはこんどは二束三文になった公債の買いに転じた。”


2008.3.18 レンズのF値の公式(2)

auf氏から次のようなコメントをもらい、これをヒントにちょっと考えてみたところ、F値の公式についてだいぶ頭が整理できてきました。

私は今までFナンバーというのは口径比の逆数で焦点距離÷有効口径,と覚えていたので日誌を見てへぇ〜,そうだったのかと思いました.数学苦手なので三角関数なんか出てくると全然ダメです.それにしてもこのFとはどうしてFなんでしょうかね? 焦点距離をfで表すのはforcus lengthから打ということは知ってるんですが.レンズの実際の明るさを表すTナンバーのTもわかりません.

有名な小倉敏布氏の”写真レンズの基礎と発展”(クラシックカメラ選書2 朝日ソノラマ)を見ると、

「Fナンバー=焦点距離/有効口径=f/D」

「D/fは口径比と呼ばれ、レンズの明るさを表すが、通常1より小さくなり、不便なので、逆数であるFナンバーf/Dで用いられる」

「特別な場合には透過率τを考慮したTナンバー(=Fナンバー/√τ)が使われることがある。

「それは、Fナンバーが明るさに関係すると同時に、直接的には、結像する円錐状の光束の形状(角度u')と対応し、焦点深度、被写界深度、回折像の広がり等を決める上でも重要な意義を持つ数値だからである。

と 書いてあります。私は素直にこれを信じていましたが、どうやら小倉氏は素人がsin U'を見るとその先を読まなくなるのではないかと心配して、わざと近似式しか書いておられないようです。u'だけ出しておられますので、分かる人には分かるのですね。今はじめて分かりました。まあ、冷静に考えると、 近似式が超大口径レンズに当てはまらないのは明らかですね。例えば、直径1mで焦点距離10cmのレンズを作ったとして、レンズの端に入射した光が画像の中心部の明るさに影響するとは到底思えないからです。F値は光軸上の明るさを表す数値ですので。

aufさん、ありがとうございました。


2008.3.17 F=1.0より半絞り明るく

昨日の日記を書いている途中で、おかしなことが気になりだしました。もし仮にあなたがF=0.5のレンズを持っていたとして、今F=1.0まで絞っていたとします。さて、ここから半絞り開けるにはF値をいくつにすればいいのでしょうか? いや、1絞り開けた方がいいかなぁ? さて、F値はいくつになるのでしょう? こんなことを知っていても、実際には何の役にも立ちませんし、知らなくても多分レンズの絞り輪に数字が書いてあるはずですので大丈夫なのですが。。。

昔は絞りの表示に√20系列を使いました。今で言う半絞りですね。その系列は、キングズレーク氏の”写真レンズの歴史”によると、
F=1.1, 1.6, 2.2, 3.3, 4.5, 6.3, 9, 12.5, 18, 25, 36, 50, 71, 100

その後√2系列に変わりました。これはおなじみの数字です。
F=1, 1.4, 2, 2.8, 4, 5.6, 8, 11, 16, 22, 32, 45, 64, 90

これをEXCELで表にすると次のようになります。係数Pは整数です。


正解は黄色で示しました。F=1.0の下は半絞りごとに、F=0.79, 0.71, 0.56, 0.5。 あれれ、F=1.0の下はたった2絞りしか存在しないんですね。でも、本当にこれで合っているのか不安です。計算式を図中に示しましたので、確認してみてください。

ここで、さらなる疑問が。√2系列は単純に計算値から端数を切り捨てて一般に使われているF値にしていますので、最大誤差が-2.85%あっても自然な感じがします。それに比べて、√20系列ではF=3.3のところだけ誤差が4.17%と突出しています。計算上は3.16ですので3.2にすればよいところを、どういうわけか飛び越して3.3にしています。

ちょっと待ってください。机の上にあるレンズをASTROのROSHER-KINO-PORTAIT 2.3/75mmの絞りの刻印を見ると、3.3ではなく3.2になっています。キングズレーク氏の”写真レンズの歴史”には、3.3となっていますが、3.2でも良いようです。もっとも、古い時代にF3.3より明るいレンズはほとんど存在しませんので、考えるだけ無駄なのですが。

以上、全く使えない無駄知識でした。


2008.3.16 レンズのF値の公式

Rudolf Kingslakeの"A History of the Photographic Lens"の英語版を買いました。オリジナルではなく、復刻版のようです。寫楽彩のジオさんの影響です。アマゾンに在庫がありましたので、ネットで注文したら翌日届きました。ぱらぱらとページをめくると、雄倉保行氏が忠実に翻訳されたことが分かります。12ページにF値の公式が出ています。あれ、これは今まで私が思っていた口径比ではないようです。全く気がつきませんでした。そういえば、最小のF値は0.5だと本に書いてあって、意味が分からなかったのですが、この公式だと確かに決して0.5より小さくなることはありません。

F値の公式
Numerical Apature (N.A.) = sin U'
F値 N = 1/(2*N.A.) = 1/(2 * sin U')

口径比は
F値 N = 焦点距離/口径 = 1/(2 * tan U')
ですので、まあ要するに簡単な近似値ということですね。

では、いったいどのくらい誤差があるのでしょうか? EXCELで簡単に計算できます。多分これであっているのではないかと思います。もし間違っていたら掲示板で教えてください。

右下の図の赤い線の長さが本来の開口数らしいのですが、面倒くさいので緑の線の長さで代用しているらしいのです。F=10.0だと誤差はわずか0.1%くらいですが、F値が明るくなるにつれて徐々に誤差が目立ち、F=2.0で3%くらい、F=1.0だと12%くらい、F=0.6だと2倍くらい違います。レンズを大ききしていくと、すなわち緑の線を伸ばして行くと、次第に赤い線の長さと違ってくることが直感的に分かります。この図は焦点距離を1.0とし、 光軸との角度U'の代わりにθを使っています。

下の表を見ると、たとえばF=1.0のレンズには、口径比は0.9ぐらい必要ということのようです。


2008.3.15 アッベ博士の時代(4) 自転車と自動車

自転車は1870年代に現れ、1885年頃から一般に普及しはじめました。1889年にゴムのタイヤに空気を入れる方法が考案され、1900年頃にはフランスやイギリスやドイツでそれぞれ500万台にもおよぶ自転車がありました。ツアイスの従業員も自転車通勤だったかもしれませんね。

内燃機関は1870年代には既に実現されていましたが最初は大きな据え置き型のものでした。1885年頃にダイムラーが小型のエンジンを開発し、1887年に自動車が誕生しました。フォードが自動車会社を設立し、量産を開始するのが1902年のことです。ですので、イエナのガラスも最初は馬車や荷車で運んでいたんだと思われます。

これらの交通手段の発達により、今まで自分の村を出たことがなかった農民でさえ他の地域や国に行くことができるようになり、遠い異国で作られた工業製品を買うことができるようになりました。今まで狭い地域で別々に進行していた歴史が、一気に広域化あるいは国際化することになります。新しい科学技術を持つ豊かな先進国を、後進国が必死で追いかけのです。学校の社会の時間に習った産業革命の意味がやっと分かってきたわけです。


2008.3.14 アッベ博士の時代(3) 交通機関の発達

世界の歴史がそれまでと大きく変わったひとつの理由は、科学技術の進歩です。多分これが最大の理由ではないかと思います。明治2年にスエズ運河の開通と、アメリカ横断鉄道の完成という歴史的なできごとがありました。蒸気力によって、世界中どこへでも行ける時代が到来します。明治2年に全世界の鉄道の総延長は13万マイルでしたが、明治33年には60万マイル近くに伸びています。1870年代から1890年代にかけて、寝台車、食堂車、冷凍車などが誕生します。船の方でも冷凍船やタンカーや定期客船などができました。これらは蒸気などの動力機関と鋼鉄の生産によって支えられました。

それまで徒歩か馬か帆船に頼っていた運輸が、鉄道や動力船などに変わり、多くの人と物資を世界中どこへでも運べるようになりました。これが歴史を大きく変えて行きます。


2008.3.13 アッベ博士の時代(2) 血ぬられた平和

”19世紀最後の30年間、ヨーロッパ列強相互のあいだには、戦争がなかった。ことに、1890年までの20年間には、ヨーロッパはいわゆる「ビスマルク的平和」を楽しんだと言われている。” (帝国主義の開幕 中山治一著 河出文庫から引用)

それまで戦争ばかりだったヨーロッパが急に静かになります。ビスマルクの複雑な戦争回避外交によるものですが、ビスマルクが1890年に辞職してから、ドイツで凡庸な指導者が続くにもかかわらず、ヨーロッパでは戦争はなかなか起こりません。そのかわり、ヨーロッパ以外の地域で戦争が起こります。1877年にロシアとトルコの間に、1885年にはセルビアとブルガリアの間に、1897年にはギリシャとトルコの間に。されに遠くの地域では、1894年の日清戦争、1896年のイタリア=エチオピア戦争、1898年には米西戦争、1899年にはボーア戦争、1900年には義和団事件などです。

時代は帝国主義へ突入して行き、それまでの世界史と全く違う展開を見せます。


2008.3.12 アッベ博士の時代(1)

エルンスト・カール・アッベ博士(Ernst Carl Abbe 1840-1905)はオットー・ショットとともにイエナにガラス工場を造り、多くの新種ガラスを開発しました。パウル・ルドルフ博士を雇って、イエナの新種ガラスを使った写真レンズを設計させました。アッベ博士は1888年にカール・ツアイスが死んだ後、ツアイス社のオーナーとなり、その後、従業員と共同所有になっているカール・ツアイス財団に会社を渡してしまいました。また8時間労働、疾病手当て、有給休暇などの新しい制度を導入しました。

アッベ博士が生きた時代というのは、どのような時代だったのでしょうか。明治元年が1868年ですから、アッベ28才、ツアイス入社2年目で、顕微鏡の設計を一生懸命やっていたのではないかと思います。亡くなった明治38年は日露戦争の終わった年ですから、ちょうど日本が明治維新から国力をつけていく時代です。


2008.3.11 SERENAR f:2 85mmの発売年

写真工業の2004年5月号には、次のように書いてあります。
”日本光学工業(現ニコン)は、戦後にコンタックスとモデルとしてニコンI型を開発し、1948年に発売するが、 そのニッコールレンズの光学系にもまたコンタックスのゾナータイプを採用する。標準50mmレンズに続いて長焦点85mmレンズにも、 ゾナー85mmタイプを踏まえて、翌1949年に国産初の85mm実現となった3群5枚構成のニッコールP85mmF2を発売する。   (中略)  戦前に 国産の距離計連動35mmカメラとしてスタートしていたキヤノンでは、前記ニッコール85mmを追って、1951年にセレナー(1953年4月からは キヤノンレンズの名称変更)の85mmF1.9を発売する。”

しかし、キヤノンカメラミュージアムの Serenar 85mm F2 Iのところを見ると、1948年(昭和23年)1月、発売時価格34,520円と書いてあります。 確かに85mmF1.9は1951年発売ですので写真工業の記事は正しいのですが、ニコンより前に発売された85mmF2が、なぜ忘れられているのか不思議です。 いずれにしろ、キヤノンカメラミュージアムは便利です。


2008.3.10 SERENAR f:2 85mm

1951年にキヤノンが最初に出した85mm大口径レンズがこのセレナーだそうです。ニコンからは2年前の1949年にニッコールP85mmF2が出ています。ニコンがゾナー型であるのに対し、キヤノンは4群6枚の典型的なダブルガウス型です。セレナーは1953年4月にキヤノンに名称が変更されます。

ずっとフィルターが付いていたようで、レンズには全く傷がついていません。それでも非常に安いので、申し訳ない感じです。


外観も割ときれいです。


ヘリコイドとライカマウント部分がうまく分離できないので、やむを得ず切断しました。1cmほど切って、EOSマウントを接着すれば改造完了。


バックフォーカスはかなり余裕があります。レンズの最後尾からフィルム面まで64mmくらいあります。


接着剤を後から入れたところが汚くなってしまったので、革を貼りました。荒隠しです。


完成。85mm比較テストに参入させていと思います。


2008.3.9 ComposerからalphaEDIT

HTMLの編集にホームページビルダー6という古いソフトを使っているのですが、Windows Vistaではリンクの数が多くなると極端に動作速度が遅くなります。まあ、それでも使い慣れているので、この日記を書くときなどには今でも使っています。

クラシックレンズリストなどのリンクが多いHTMLではNetscape Composerを使っていたのですが、ついに動かなくなってしまいました。既にNetscapeのサポートは終了しているようですので、しかたないですね。そこで、フリーのHTMLエディタを探してみたところ、alphaEDITというのが見つかりました。インストールしてみたところ、なかなか使いやすそうです。しばらくこれを使ってみたいと思います。


2008.3.8 わたしの青い鳥・順子

深川精密工房のチャーリーさんはクック スピードパンクロをカバンから取り出すとき、
♪ようこそここへ わたしの青い鳥 恋をした心に とまります♪
(”わたしの青い鳥” 阿久 悠 作詞、中村泰士 作曲、1973年8月にリリースされた桜田淳子の3枚目のシングル。)
とギャグをとばしておられましたが、誰も突っ込みようがなく、そのままスルーしていました。クック スピードパンクロは35mm, 40mm, 50mmの3本を持っておられますので、何回か聞いたような、聞かないような。

まあ、私は大きな声では歌わないのですが、ひとりで撮影しているとき、小さな声で口ずさむ歌があります。それはド順光になった時です。
♪ドォー 順光 君の名を呼べば僕はせつないよ♪ (正しくは、”オー順子”)
(”順子” 作詞・作曲・歌 長渕剛 1980(S.55)年、のヒット曲)

それと、もう一曲。たとえば道を間違えたとか、忘れ物をしたとかの時に口ずさむ歌があります。
♪アッ・アッ・アッ、イミテイション・ゴールド アッ・アッ・アッ、焼けた素肌が♪
(”イミテイション・ゴールド” 1977 作詞/阿木燿子 作曲/宇崎竜童 歌/山口百恵)
何か失敗をして、”アッ”と声を上げた時に、♪アッ・アッ、イミテイション・ゴールド アッ・アッ・アッ、焼けた素肌が♪と続けることにより、心に少し余裕が生まれるかもしれません。


2008.3.7 キネマトグラフ

戦前ダルマイヤー社(Dallmeyer)からキネマトグラフ(Kinematograph)というシリーズ名で35mm映画用のレンズが売られていました。いろいろな焦点距離のレンズがあり、レンズの枚数や型も異なっていたようです。うちにあるのはADON型2群4枚の望遠レンズです。3インチには4群6枚のダブルガウス型で、F1.9とかF1.5の高速レンズがありました。これらはどうやら後にスーパーシックス(SUPER-SIX ANASTIGMAT)やスピードアナスチグマット(SPEED ANASTIGMAT)と呼ばれるレンズらしいのです。はっきりした年代はわかりませんが、DALLMEYERの製造番号で言うと9万番台から12万番台のKinematographを見たことがあります。

ただ、このKinematographという刻印を商品名と見るか、単に映画用のレンズの表示と見るかは不明です。当時は映画のことを一般にキネマトグラフと呼んでいたようです。”帝国主義の開幕”(世界の歴史21、中山治一著、河出書房新社刊)から引用します。

”写真のはじまりは1870年以前にあったが、しかしその進歩は、1870年代以降に急速なものとなった。巻き(ロール)フィルムの発明は1884年のことであったが、それから四年後には、最初の小型写真機「コダック」が市販されるようになった。カラー写真の誕生は1891年にあったが、それから四年後の1895年には、フランスで「シネマトグラフ」に特許権があたえられた。これは、やがて到来する映画ブームのさきぶれであった。”


2008.3.6 結婚式の写真

先週の日曜日に姪の結婚式があり写真撮影をしました。幸い天候にも恵まれ、すばらしい結婚式でした。EOS 5Dとキヤノンのレンズ3本(EF 4/17-40mm, EF 1.8/85mm, EF 4/300mm IS)、それとEOSマウントに改造したSummarex 1.5/85mmを持って行きました。Summarexのソフトな描写に期待したのですが、失敗でした。ピント合わせが追いつきません。ストロボを使うと、うまく色が出ません。現代のAFレンズとストロボは結婚式用に作られているようです。誰が何を撮影してもうまく撮影できます。但し、標準のピクチャースタイルはイマイチです。コントラストさえ最低に設定すれば、JPEG Large Normalで問題ありません。

EF 4/17-40mmとEF 1.8/85mmの2本があれば(もちろん標準ズームがあればそれで良いのですが、私は持っていません)、十分足ります。ただカメラを意識した顔の写真ばかりになります。300mmを使うと、カメラを意識しない自然な表情がアップで撮れるので重宝します。


2008.3.5 EOS 5D修理後

EOS 5D修理後に使ってみると、修理前とはいくつか異なる点があります。直接比較できないので、感覚的なものです。
(1) 露出計の感度が変わったような気がする。以前は+0.5 - +1.5の露出補正をする場合が多かったが、現在は-1.5 - -0.5が多くなった。
(2) 液晶モニターが明るくなったような気がする。以前は暗すぎた。
(3) バッテリーの持ちが悪くなったような気がする。以前は800枚くらい撮れたのが今は600枚くらい。
(4) シャッター音が大きくなったような気がする。心なしがミラーの上下が元気。

そうです。たぶん、すべては電源基板が変わったせいです。前の基板の電圧が少し低かったのかもしれません。


2008.3.4 DALLMEYER SUPER-SIX 4"

こちらがある偉い方からお借りしたSUPER-SIX 4"です。

マウントはペンタ645、ニコンF兼用です。絞りを回すための取っ手が取り付けてあります。たいへんきれいなレンズです。


ぴったり合うキャップがなかったので、革で作りました。革細工に慣れたので、あっという間にできます。これがあれば高価なレンズでも安心して持ち運びできます。


2008.3.3 DALLMEYER SUPER-SIX 3"

ある偉い方からDALLMEYER SUPER-SIX 3"と4"をお借りしました。3"の方はSUPER-SIXとは書いていませんが、F/1.9ですので明らかにSUPER-SIXです。最近SUPER-SIXが品薄で値上がりしており、簡単には買えませんので助かります。2本ともニコンFマウントですので、マウントアダプタを使ってEOS 5Dで撮影できます。

古いバレルレンズがM42のヘリコイドに入っています。


バックフォーカスはがぎりぎりなので、レンズの後ろの金物が少し切り取ってあります。

SUPER-SIX 4"の説明は明日。


2008.3.2 JUPITER-9 1:2 F=8,5cm

Kievマウントのジュピター9 2/85mmです。レンズがヤケているという理由でジャンクの箱にありました。 確かにレンズは相当黄色いのですが、傷などは全くありません。昔のKievマウントのJUPITER-9は黄色いのが多いと写真工業で読んだことがあります。 まあ数千円の物ですし、中身はゾナーらしいので買ってみました。M42マウントのJUPITER-9がありますので、EOSへの改造は難しくないはずです。

全く使わないまま、ガラスが黄色くなり、ジャンクになってしまったようです。


ロシヤ語ですね。


Kiev/Contaxマウントと言うらしいのですが、私は良く分かりません。ライカがカムの前後運動で距離計と連動するのに対し、回転運動で連動しているようです。


ガラスは黄色いですね。写真では分かりにくいですが。


分解するとこんな感じです。一番左の塊の中にレンズヘッドをヘリコイドが入っています。右側は距離計連動機構をカメラマウントです。大きなバネで連動用のローターをカメラ側に常に押しています。ちょっとグリースつけすぎです。


Kievマウントの筒を1cmほど切断して、EOSマウントを取り付ければ改造終了です。連動装置は不要なので撤去。


マウントを接着剤で貼り付けるだけでは強度が不足しますので、補強金具を作成。接着面積が大幅に増やせます。


これが無限遠の状態です。EOSのミラーとの衝突には数ミリの余裕を残しています。


改造完成。見事にジャンクから生還し、EOSマウントのゾナー 2/85mmになったのでした。


2008.3.1 後玉の革ケース

ASTRO ROSHER-KINO-PORTRAITには後玉が2個あるので、1個はレンズと別に持ち運ぶことになります。ちょうどよい入れ物がなかったので、専用の革ケースを作ってみました。

昔ごはんを入れたおひつのようなものになりました。きちっと作れば、誤ってフタがはずれることはありません。


工作としては、レンズキャップを2個作るのと同じです。ゴム糊を使い切ったので、合成ゴム系の接着剤を使いました。革ジャンやカバンなどにはゴム糊の柔軟性が必要ですが、このような物は合成ゴム系の接着剤でも問題なさそうです。


2008.2.29 カメラ設定の登録

CANON EOS 5Dのメニューに”カメラ設定の登録”というのがあります。確かに登録はできるのですが、登録した内容を呼び出す方法が分かりません。そこで初めて使用説明書を開くと、次のように書いてあります。

「カメラに設定されているほとんどの内容を、モードダイヤルの<C>に登録することができます」

こんな機能があったとは知りませんでした。これは使えそうですね。例えば絞り優先で2種類の設定を瞬時に切り替えたいとき、一方をCに保存し、他方をAvに設定すれば、モードダイヤルCとAvを切り替えるだけで済みます。カスタムファンクションを複数瞬時に切り替えるなんてことができます。

修理に出す前にも、”カメラ設定の登録”をしておけば良いのかもしれません。しかし、そのことは使用説明書には何も書いてありません。今回の修理のように基板を何枚も変える場合はダメかもしれませんね。やっぱり、CFにファイルとして保存できた方がいいですね。


2008.2.28 桜のピクチャースタイル

CANON EOS 5Dの現像パラメータは標準では次のように設定されています。キヤノンでピクチャースタイルと呼ぶものです。
数字はそれぞれ、シャープネス(0-7)、コントラスト(-5 - +5)、色の濃さ(-5 - +5)、色あい(-5 - +5)です。
スタンダード 3,0,0,0
ポートレート 2,0,0,0
風景 4,0,0,0
ニュートラル 0,0,0,0
忠実設定 0,0,0,0
違うのはシャープネスだけで、コントラストはすべて同じです。コントラストは自分で好きに変えてネ、と言っているようです。

これがピクチャースタイル”スタンダード”で撮影した河津桜。ホワイトバランスは太陽光です。さえない色ですね。私の見る桜のイメージと大きく異なります。ホワイトバランスや露出やピクチャースタイルを変えても一向に良くなりません。


スタンダードのコントラストを最低の-5に設定すると、こんな感じになります。他のパラメータは全く変えていません。コントラストを下げただけで、色が大きく変わるのに驚きます。これは私の河津桜のイメージに近いものです。

同じことが人物写真にも言えます。特に子供の明るい顔色を出すには、コントラストを思い切り下げて撮影する必要があります。一旦高いコントラストでJPEGで撮影した写真を、フォトショップなどでコントラストを下げるのは非常に難しい作業になります。理由は分かりませんが、私は成功したことがありません。簡単なことですので是非一度試してみて下さい。

桜はどうやら子供の顔と同じ色なんだなぁと気づいたのは、4年ほど前のことでした。


2008.2.27 コールド・マウンテンのティンタイプ

コールド・マウンテンという映画を見ていたら写真のことをティンタイプを言っていました。南北戦争時代1861-1865)のアメリカではティンタイプが一般的だったようです。”写真の歴史入門 第1部「誕生」 新たな視覚のはじまり”(三井圭司/東京都写真美術館監修 新潮社)から引用します。

”そして南北戦争頃にはフェロタイプ(FERROTYPE)あるいはティンタイプ(TINTYPE)というブリキ板を使う方法も登場した。これは、更にコストを下げた方法で、アンブロタイプの後に発明されたものでありながら、素材の特徴から像の左右が逆転するものだった。これらのダイレクトプロセスでは、一度の撮影で得られる像は一つ限り。焼き増しはできない。だからこそ作品が飾り立てられるなど珍重されたともいえる。だが60年代後半から徐々に、ネガ・ポジ方式へ主流の座を奪われていく。”

兵士は恋人のただ一枚のティンタイプを持って南北戦争に赴き、恋人は兵士のただ一枚のティンタイプを毎日見ながら帰りを待ち続ける。手紙は砲火に焼かれても、ブリキのティンタイプは焼け残る、というシーンが印象的でした。写真がブリキで出来ていることを知らないと、わけの分からないシーンなので、脚本家が写真のことをあえてティンタイプと言わせているのかもしれません。日本じゃ分かる人は少ないだろうなぁと思った次第です。


2008.2.26 総革作りのレンズキャップ(5)

蒲田に行ったついでに、ユザワヤ蒲田店に寄ってきました。ユザワヤに行ったのははじめてです。ユザワヤ蒲田店といえば、日本最大級の手芸・工芸材料専門店です。皮革関係は6号館にありました。大きな革の在庫が豊富でした。個人はもちろんですが、工芸教室など少し量の多い人向きという感じでした。それと爬虫類関係の革が豊富にありました。


ここで安売りだったのがミズヘビ。15cm x 100cmくらいの大きな革が500円だったので、これに決定。模様がきれいに揃っているし、平らなので切ったり貼ったりしやすそうです。


まず牛革でキャップを作って、そこにミズヘビの革を貼っています。


なかなかゴージャスな感じです。


悪趣味というべきかもしれません。しかしながら、奇抜なデザインの奇抜なレンズですので奇抜なキャップでいいのです。多分。


2008.2.25 銀座松屋の世界の中古カメラ市

ちょっと日付が進みすぎているので、実際には23日(土)です。銀座松屋の世界の中古カメラ市に行ってきました。

午前10時前から行列ができていました。今回はジオグラフィックさん、れんずまにあさん、深川精密工房さん、原さん、とご一緒させて頂きました。


Webでしか知らなかった方々とはじめてお会いしましたわけですが、みんなマニアなので話題は尽きません。写真は深川精密工房さんがきれいに改造されたレンズを見るジオグラフィック氏の手です。撮影に使ったレンズはASTRO ROSHER-KINO-PORTRAIT 2.3/75mm。


2008.2.24 総革作りのレンズキャップ(4)

Planar 3.6/110mmにも革を貼ってみました。

ヘリコイドの下の部分はダチョウの皮。フードのキャップは牛革。


キャップの円盤部分はベージュの革を使用。


作り方は以前と同じ。ただ色が違うだけ。


ダチョウの皮は、きれいな水玉模様の部分は高価です。しかし、それ以外の部分は割りと安いのです。 東急ハンズの渋谷でバッグを作った残りの小さなハギレが420円だったので買ってみました。キャップなら2〜3個作れそうです。

ただカメラに貼るならダチョウは少し柔らかすぎるかもしれません。やはりトカゲが良さそうです。


2008.2.23 総革作りのレンズキャップ(3)

最初に作った総革作りのキャップの見た目が悪いので、外に茶色の革を貼ってみました。

革の扱いにも、だいぶ慣れてきました。


貼り合せになったので、強度が増しました。


キャップをすると、このような形になります。


2008.2.22 EOS 5D修理完了

修理に出してから足かけ25日目に修理完了し返ってきました。シャッターユニット交換と電源関係のLPU基板交換。販売店の5年保証が効いて無料でした。修理は完璧のようですが、ユーザー設定のピクチャースタイルが初期化されていたので戸惑いました。自分でした設定を忘れてしまっています。設定したパラメータをすべてCFに保存する機能があればいいなぁと思いました。

ひさしぶりにEOS 5Dを使うと画角がずいぶん広いです。85mmはこんなに広角だったかなぁ、という感じです。それと、10Dがものすごく静かだったので、5Dのシャッター音がずいぶんうるさく感じます。


2008.2.21 総革作りのレンズキャップ(2)

もう一個総革作りのレンズキャップを作りました。Kino Plasmat 2/9cmのフードの上からかぶせるためのものです。一旦フードを取り外してからキャップをつけるのは、あまりに面倒くさいので、フードの上からかぶせる方式が好きです。今回は革の接着の方向を変えてみました。昨日作ったのは、一番上の円盤の切断面が外から見えましたが、今日のは円筒の切断面が見えます。

昨日の方式だと、キャップをはずす時に接着剤を剥がす方向に力がかかるのですが、今日の方法は常に接着面を押す方向ですので、剥がれ難いのではないかと思います。


それに、円筒の断面の方がきれいです。定規とカッターを使ってまっすぐに切れるためです。円盤をハサミで切り抜くと、どうしても汚くなってしまいます。


これで、Kino Plasmat用の革のキャップが全部できました。


2008.2.20 総革作りのレンズキャップ

Kino Plasmat 1.5/7.5cm用のキャップにぴったりの金属の筒がありましたので、これを芯に使いました。しかし、Kino Plasmat 1.5/9cm用にはぴったりの金属の筒がありません。そこで、総革作りのキャップを作ってみました。


至って簡単な構造で、約3mmの厚手の牛革を円盤型に切り、約2cmの帯状の革を輪にしてゴム糊で貼り付けただけです。機能的にはこれで十分です。この上に化粧革を貼ればさらにきれいになりますが、今回はこのまま使うことにしました。


革張りのフードに革のキャップをかぶせる場合、多少ゆるくても落ちないことが分かりました。そんなに精度は要りません。


注意点はただ一点。まじめに革を接ぐことです。接合部の革は厚さを半分にカッターで削ぎます。接いだ後でちょうど元の厚さになればOKです。今回はちょっと表の革を短く切りすぎたので、後で2mmほどの革を足しました。ゴム糊はカッターで切った粗い面同士であれば非常に強力に接着できます。


次にフードにはめた状態で円盤型の革とゴム糊で接着します。これも粗い面同士ですので、強固に接着できます。そういえば、自転車のパンク修理の時、チューブを軽石で一生懸命こすりました。あれと同じですね。


完成図。今後キャップで困ることはなくなりそうです。一個当たり数十円の材料費で、どんなサイズのキャップでも作れます。


2008.2.19 販売店保証を使うと修理期間が長くなる

1月26日(土)に修理に出したEOS 5Dがやっと今週返ってきます。3週間半ほどかかっています。以前メーカー保証で修理に出した時には1週半ほどで返ってきています。今回はキタムラの5年間長期保証を使っていますので、メーカー保証より2週間ほど長くかかっています。キタムラのお店で聞いたところ、キタムラの保証を使う場合、通常4週間かかるとのことでした。

メーカー保証や自己負担より、販売店保証を使う方が修理に時間がかかるのは、おかしな感じもしますが、事務手続き上多分やむをえないことだと思います。お店で聞いたわけではなく、あくまでも私の推測ですが、販売店保証には自然故障であることとか、限度額とかの 条件が設定されていますので、まずメーカーの見積もりを取って、販売店保証を適用可能か判断する必要があります。多分この判断に時間がかかるので はないかと思います。特に限度額が結構厳しく、購入後2年経つと、購入価格の70%が保証限度となります。定価ではなく販売価格ですのでバーゲン品などの場合これにひっかるケースが多いと思われます。

落下や水没などの保証適用外の故障であるとメーカーから言われた場合、販売店保証は適用できません。保証限度を超える金額についてはユーザーの支払い意思を確認する必要があります。保証適用外の修理をユーザーの許可なしで行った場合、後で大きなトラブルになります。従って、見積もりと保証適用の審査は慎重に行うべきであり、ある程度時間がかかるものと思われます。

まあ、これは良し悪しの問題ではなさそうですので、ユーザーが販売店保証を理解して、適切な修理方法を選ぶべきではないかと思います。例えば2週間後に結婚式があってどうしてもカメラを使わなければならない場合、販売店保証をあきらめて自己負担した方が良い場合があるということです。キヤノンに持ち込むか直送すれば、うんと早く修理できます。販売店保証は普通一度しかききませんので、次に壊れた時に使えると思えば、腹も立たないでしょう。


2008.2.18 Kino Plasmat 1.5/7.5cm 革張り

Kino Plasmat 9cmでの実験結果に気をよくして、当初の目的である7.5cm革張りを行いました。

ビスを抜いて皮を貼り、皮の上からビスを打ち直すのが良さそうですが、面倒くさいのでビスの上から皮を貼ってしまいました。当面ビスを抜くことはありませんので。なかなかきれいに仕上がりましたが、何かもう少し工夫が欲しいところです。

そこでキャップを作ってみました。総皮作りと行きたいところですが、うまくいきそうにないので、今回は芯にアルミの筒を使いました。適当な太さの筒を適当な長さに切って、天井部分に厚手の皮を置き、その上から全体に薄手の皮を貼りました。


出来上がり図。自分で言うのもなんですが、なかなかエレガントな仕上がり。お茶の缶のようにも見えますが。皮はわずかしか使いませんので、千円の皮で10個以上作れそうです。


2008.2.17 Kino Plasmat 1.5/9cm 革張り

自分で改造したKino Plasmat 1.5/9cmのEOSマウントとフードは機能的には誠に具合がいいのですが、外観が醜い。荒隠しのため、革張りにしてみました。これは簡単です。東急ハンズにちょうどよさそうな薄い牛革がありました。

右側が薄い牛革。上に置いてあるのは30cmの定規ですので、だいたい50cm四方で1,029円也。左は厚い牛革。これでキャップを作ろうという計画。525円也。



皮を適当な大きさにカッターナイフで切断します。皮は結構伸びるので、テープ状にするときには、幅広で短く切ると良いようです。皮の端をカッターで薄く削いで段差を目立たなくすることができます。


ゴムのりを薄く両面に塗って、乾いてから圧着します。自転車のチューブ貼りと同じ要領だそうです。指で塗ってかまいません。瞬間接着剤とは違い、指についた糊は簡単に取れます。


完成図。しわくちゃの皮ですが、引っ張りながら貼れば、きれいに伸びます。柔らかい皮なので多少の凸凹は問題ありません。


2008.2.16 ASTRO ROSHER-KINO-PORTRAIT 2.3/75mmのキャップ

私が改造したDeBrie Super Parvo 35mm movieカメラ用のASTRO ROSHER-KINO-PORTRAIT 2.3/75mmレンズのキャップを探したところ、内側に53Cと書かれたプラスチックのキャップがぴったり合いました。計ると確かに53mmです。残念ながらこの情報は私以外には役に立たないと思います。このレンズはこれ以外見たことがありませんし、改造の方法が違えばキャップも変わるからです。

でも、まあ、53mmというのは何かの標準的な太さかもしれません。


こんな格好になります。大変実用的なキャップです。持ち運ぶときには、やはりぴったりのキャップがあった方が安心ですね。


2008.2.15 ペンタ67のヘリコイドチューブ壊れる

ペンタ67のヘリコイドチューブが急に固くなって回らなくなってしまいました。割と簡単に分解できるのですが、分解しても原因が良く分かりません。多分ヤスリの削りくずがヘリコイドの中に入ってしまったのだと思われます。

ヘリコイドの中を清掃して、グリースをつけて組み立て直したのですが、スムーズになりません。どっかでひっかかっています。


こんな低い山のヘリコイドですので、扱いにくいです。結局組み立てなおすたびにどんどん固くなって、最後には固着してしまいました。結局このヘリコイドはあきらめて、別のスムーズなヘリコイドと入れ替えることにしました。教訓としては、手間を惜しまずに分解してからヘリコイドの内面を削り、清掃してから組み立てるべきだということです。


2008.2.14 ペンタ67のヘリコイドチューブ

ペンタックス67のヘリコイドチューブは優れもので、太いレンズの改造に必要なものなのです。しかし、もともと中間リングであり、ピント合わせ用ではないため、リングに指がかかりにくく、回しやすくありません。特に重いレンズと取り付けたときには回しにくいです。そこで、リングを少し太くしてやると使いやすくなります。ペンタ67の中間リングからオスのマウントだけを抜いた残骸がいっぱいあるので、これを細く切り出してビス止めすれば完成です。これで効果てきめんです。ちょっとビスが長すぎますが、本当に固いときには、ここに手をかけて回します。ただし、カメラバッグに入れるときに引っかかるという欠点があります。


2008.2.13 Kino Plasmatの大きさ


Kino Plasmat 1.5/7.5cmと1.5/9cmの大きさはこれくらい違います。両方ともEOSマウントに改造後です。たった1.5cmの違いですが、ずいぶん大きさが違うものですね。


真ん中にKino Plasmat 2/9cmを入れてみると、1.5/7.5cmとだいたい同じです。口径がだいたい同じなので(7.5/1.5=5, 9/2=4.5)、大きさもだいたい同じになるんですね。


2008.2.12 Planar 3.6/110mm再改造

ペンタ67のヘリコイドチューブが一個壊れたのですが、もう予備はないので、Planar 3.6/110mm専用で使っていたものを剥奪することにしました。その代わりPlanar 3.6/110mmはブロニカスクリューマウントに再改造しました。

改造と言っても、非常に簡単で、Planarのフランジにブロニカのスクリューを接着剤で貼るだけです。バックフォーカス調整のためにCanon FDのマウントを分解した後の部品を使っていますが、これはなくても特に問題ありません。


レンズが大変軽いので、瞬間接着剤だけで十分強度が得られます。心配なら内側から黒いフェルトを貼ってしまえば、落下を防止することができます。できてしまえば、まさにブロニカのヘリコイドがぴったりなのですが、以前改造した時には、全く思いつきませんでした。これで4回目の改造になります。多分これ以上改造する必要はないと思うのですが。


2008.2.11 Kino Plasmat 1.5/9cmのフードのフタ

フードの上からかぶせられるフタは便利なので、Kino Plasmet 1.5/75mm用にも作ってみました。ペンタコンシックスのレンズのリアキャップの中をノミで削って出来上がり。


2008.2.10 Summarex 1.5/85のフード製作

ズマレックスのフードを一眼レフ用に製作しました。

左がライカ純正のフードで、レンジファインダーが見えるように穴があけてあります。デザイン優先のためか、つなぎ目が弱く、手前の継ぎ目が折れてしまっており、修復は難しいと思われます。もちろんこのままで使うことができますが、一眼レフ用にはあまり効果的とはいえません。人に自慢する時にはライカ純正フード、ひっそりと撮影したい時には手作りフードという使い分けになります。

手作りフードの特長は、(1)細く深くして効果を高める (2)フードの先端にフタを付けられるようにする (3)ライカ純正のフードを温存し、壊さないこと。


その辺に転がっているフードから直径の合うのを探し、糸鋸で切り込みを入れます。先端にHelios-40のフィルター枠を取り付けて完成。フィルター枠を取り付けた理由は、机の上にフィルター枠が一個余っていたからです。


結果的にHelios-40のフィルター枠は、フードの補強になり、Herios-40のフタが取り付けられるようになりました。フードの上からフタができると、とても便利です。

ただ、あまりにも見苦しいので、ちょっとお化粧をしました。ホームセンターで糊付きの人口セーム皮(実際にはどうみても薄手のスポンジゴム)を買って貼ってみました。裏に両面テープが貼ってありますので、切って貼るだけです。昔のシグマのレンズみたいになりました。ううん、見た目はともかく、滑りにくくなったので落下防止には役立ちそうです。しかしこうなるとズマレックスとはとても思えません。


2008.2.9 Kino Plasmat 1.5/9cmのフード

75mmから90mmのF1.5のレンズを並べて大きさの比較をしてみました。

左から、
Dallmeyer Speed 1.5/75 Nikon Fマウント + EOSアダプタ
Zeiss Biotar 1.5/75 M42マウント + EOSアダプタ
Meyer Plasmat 1.5/75 EOSマウントに改造
Leitz Summarex 1.5/85 EOSマウントに改造
Enna Ennalyt 1.5/85 EOSマウントに改造
Helios-40 1.5/85 EOSマウントに改造
Meyer Plasmat 1.5/90 EOSマウントに改造

外観の比較なんて無駄だろうと思っていたのですが、ひとつだけ発見がありました。Herios-40とPlasmat 1.5/90のフィルターのネジが同じだということに気づきました。

これが分かれば、長年の懸案だったPlasmat 1.5/90のフードの問題が解決しました。Herios-40に3枚付属していたカラーフィルターの枠を使って専用フードが作れます。Helios-40のフィルターは立派なものですが、全く使い道がありませんでした。しかし、これでPlasmat 1.5/90のフードの重要部品として復活しました。フードはそれぞれ、
Dallmeyer Speed 1.5/75 Nikon Fマウント + EOSアダプタ、専用フード
Zeiss Biotar 1.5/75 M42マウント + EOSアダプタ、55mm
Meyer Plasmat 1.5/75 EOSマウントに改造、55mmに改造
Leitz Summarex 1.5/85 EOSマウントに改造、専用フード+自作コンパクトフード
Enna Ennalyt 1.5/85 EOSマウントに改造、専用フード
Helios-40 1.5/85 EOSマウントに改造、フィルター枠を使い自作
Meyer Plasmat 1.5/90 EOSマウントに改造、Helios-40のフィルター枠を使い自作


66mmの0.75mmピッチです。


しかし、Helios-40 1.5/85はなぜこんなに大きいのか不思議でなりません。レンズ構成図を見てみたいものです。


2008.2.8 Kino Plasmat 1.5/75mm フィルター枠

中将姫光学さんと熱海に行ったときに見せてもらった古いレンズには、新しいフィルター枠が埋め込まれていました。プロの技です。このKino Plasmatもそうなのですが、古いレンズはレンズの先のフィルター枠が特殊で、専用のフードしかつかないので困ります。また、凹んだり擦り切れたりしている場合も多いです。新しいフィルター枠を古い枠の中に入れてしまうというのは良い作戦のようなので、まねしてみました。金槌で軽く叩きこんであるだけなので、いつでも撤去できます。

Kino Plasmat 1.5/75のフィルター枠は58mmくらいなのですが、58mmのフィルターはどうしても入りません。そこで、55mmのフィルターからメスのスクリューだけを切り出して、金槌で軽く叩き込んでみました。ぴったりと大きさが合うので驚きました。


55mmのフタはそのへんにたくさんlころがっていますので、便利です。


フードも同様によりどりみどりです。簡単には抜けません。どうしても抜きたいときには、金槌でフードを前にたたき出します。


2008.2.7 Kino Plasmat 1.5/75mmレンズ構成

Kino Plasmat 1.5/90mmとそっくりですね。サイズだけの違いのようです。昔は100mmの図面を書いて、必要となるイメージサークル(すなわち焦点距離)に応じて拡大縮小したという話を聞いたことがあります。ヘリコイドが違うので外観は多少違います。

この時点でもうKino Plasmatだということが分かります。レンズが絞りに向かってでっぱっているので、傷が付かないように注意しましょう。


ガラスは無色透明で高級感があります。


第1群の後ろ側は平らです。


第4群の前側も平らです。第4群の後ろについているのは、接着剤の残骸です。ライカMマウントに改造されていた時に、ここに連動距離計のカムが接着剤で貼り付けてありました。レンズに接着剤がつかないように丁寧で強固な接着でした。なので逆に、きれいに剥がすのが大仕事でした。ライカMマウント改造時には、直進ヘリコイドを回転ヘリコイドに変える工夫がされており、興味深いものでした。


2008.2.6 Kino Plasmat 1.5/75mmアダプタ製作

今回製作したKino Plasmat 1.5/75用のアダプタについて、もう少し説明します。

レンズはこんな形です。EOSマウントのフランジ面から約7mmのところにレンズの後端がくるような筒を作ればOKです。優れたヘリコイドが付属していますので、単にレンズを支えるだけでOKです。


ちょうど良い太さのアルミの筒があったので、これを適当な長さに切断。このなかにメスのスクリューを入れて、3本のビスで固定します。


また、ドーナツ状の遮光版ビス止めされていましたので、これを利用して、EOSマウントをネジ留めしました。この筒は元々レンズでしたので、内面は反射防止の塗装がされていますが、EOSマウント金具の内側は塗装されていませんので、黒いフェルトを貼りました。


これを、レンズにねじ込んで、3本にビスで留めれば改造終了です。


2008.2.5 Kino Plasmat 1.5/75mm

Hugo Meyer & Co-Görlitz Nr.503313 Plasmat f:1.5 F=7.5cm DRP Dr. Rudolph

待望のKino Plasmat 1.5/75mmです。ライカMマウントに改造した物を譲って頂き、EOSマウントに再改造しました。優秀なヘリコイドがついていますので、改造自体は簡単です。今回は気合を入れたので、今までで一番きれいな外観にできたと思います。


外観は私の持っている9cmと同じで、サイズが少し違うだけです。シリアルナンバーは9cmより少し若いです。


ヘリコイドは9cmよりかなり良くできています。伸ばすとヘリコイドのネジ山が露出するところが面白いです。最短は60センチほどで、結構寄れます。


前玉、後玉とも絞りに向かってレンズが飛び出しているのがKino Plasmatの特徴です。


レンズは手で簡単に分解できます。


シルバーのEOSアダプタを作成しました。フランジが付いていなかったので、ガラクタを探したら、だいたい合うメスが2個出てきました。割と一般的太さのフランジのようです。


レンズの太さとアダプタの太さが同じなので、コンパクトな印象を受けます。EOS 10Dに取り付けるとバランスが良いです。また、良いヘリコイドを使っているので、抜群にスムーズで使いやすいです。


2008.2.4 ROSHER-KINO-PORTRAITはPetzval

寫楽彩 画像BBSに私が書き込んだ内容を転記します。

さっき風呂につかっていたら、重大な間違いに気づきました。このレンズは逆テッサーではなく、ヨーゼフ・ マックス・ペッツバール教授の設計した人物用ペッツバールであると思います。レンズの断面図を描いている時から、何か変だなぁと思っていたのですが。ま た、どこかで見たような写真だなぁと思いながら今まで気づきませんでした。

ただし、私は逆テッサーとペッツバールの正しい見分け方を知りません。ご存知の方がおられましたら、教えてください。

ペッツバールはF3.5くらいだと思い込んでいたのが間違いの元でした。また1922年創業のアストロがまさかペッツバールを作っていないだろうという思い込みもありました。写真工業2月号の”平成写真師心得帖”で柳沢保正氏が次のように書いておられるのがヒントになりました。

「ユ ニバーサルの元祖ダルメーヤーは、ベッツバールの後玉を動かしたが、後玉はカメラの蛇腹の内側にあるのだから、調整に手間がかかる。使い勝手では(前玉を 動かす)クークに軍配だった。(中略)この方法を、同じトリプレットのヘリアー(フォクトレンダー)が取り入れたのが、ユニバーサル・ヘリアーである。」


2008.2.3 レンズ改造後のテスト

レンズ改造時には、撮影中または移動中にレンズが落下しないよう注意しています。しかしながら改造時にいくら確実に取り付けても、持ち歩いている間にレンズが脱落してしまうことがあります。特に高級なレンズほど穴を開けたり接着剤をつけたりできないので脱落しやすいのです。そこで事前テストを行います。テストといっても、ただカバンに入れてしばらく持ち歩くだけです。接合の悪いものはカバンの中で自然に脱落することが多く、落下を防ぐことができます。今までこの方法で2度ほど接合不良を発見しました。


2008.2.2 欲しいレンズ23 Rietzschel Prolinear 1.9/13.5cm

その昔Ernostarと大口径を競ったと言われるレンズにレイチェルのプロリニアというのがあります。以前から2本ほど売りに出ています。資料がないのでレンズ構成が不明です。レンズ自体が欲しいというよりは、まず資料が欲しいです。


2008.2.1 プリンタのフタが自動で開く

スキャナーとコピーが必要になったので、2ヶ月ほど前にキヤノンのMP610という複合機を2万円ほどで買ってきて使っています。インクは染料4色+顔料の黒で、普通紙に白黒で印刷するときには顔料インクが使われるという優れものです。8色インクのプリンタに比べると、インク代が安いので助かります。CFカードスロットも付いていて、最近はカードリーダーとしても使っています。

昔は印刷後の紙を排出する扉を閉じたまま印刷すると大変なことになったのですが、このプリンタは自動的に扉を開けてくれます。安いのに賢いですね。


2008.1.31 欲しいレンズ22 Sonnar 1.5/12.5cm

重さは1.5kgくらいだそうです。1939年から1943年にかけて200本製造されたロットだと思います。ツアイスの台帳にはFHKというカメラ用だと書いてあるのですが、これが何かは分かりません。まさに戦争中ですので、軍用だったのかもしれません。なお、ツアイスの台帳では12.5cmではなく12cmと書いてあります。


2008.1.30 RAPTAR 2.7/152 ペンタ67マウント

WOLLENSAK 6" (152MM) f/2.7 FASTAX PRO RAPTAR TELEPHOTOはシネ用のレンズですが、テッサー型のレンズですので、広大なイメージサークルがあります。使わないまま放置してあったのですが、150mm対決に参加させるべくペンタ67マウントに改造しました。まあ、6インチのテッサーならバックフォーカスが十分長いので、ペンタ67の中間リングを取り付ければ終わりです。


2008.1.29 Cooke Speedic ペンタ67マウント

Cooke Sppedic 2.5/6.5inchのペンタ67マウントを作りました。これが最終版です。今回は簡単にできたので、なぜ今までうまくできなかったのか不思議でなりません。でかいわりにはレンズが薄くて軽いです。


2008.128 EOS 5D故障

EOS 5Dの1/4000, 1/6000, 1/8000秒のシャッターが故障ました。1/3000秒以下は正常です。昨年の一月にも全く同じ症状が出て、メーカー保障期間ぎりぎりで修理に出したので、きっちり一年に一度壊れたことになります。

この個体に関しては、シャッター○万回保障というのは、あまりに曖昧な表現に感じられます。1/4000以上は何回、1/3000以下は何回とような言い方をしないと意味がありません。幸い販売店の長期保障に入っていますので、これが適用されると思います。ただ、ISO 50があるEOS 5Dでは、たいていの場合1/3000秒以下で足りますので修理はもうちょっと後でもいいかなぁと思っていました。

しかし、今度は全く電源が入らなくなりました。1月1日から既におかしかったのです。使用中に時々電源が落ちて、すぐにまた復帰する現象が出ていました。当然全く使えませんので、修理に出しました。多分2週間くらいかかると思います。まあ、一年に一度くらいの修理なら仕方ないですね。

それより、電源の故障が出るまで修理に出さなかったことをラッキーだと思うべきかもしれません。シャッターの修理から返ってきた直後に電源が壊れたら最悪ですね。それに、販売店の保障は一回しか使えませんので、二回目以降はお金を払わねばなりません。


2008.1.27 Summarex 1.5/85mm EOSマウント

Summarex f=8,5cm 1:1,5 Nr. 940850 Ernst Leitz Wetzlar

Summarexはもちろんライカスクリューマウントしかないのですが、EOSマウントに改造してみました。業者さんがやった大掛かりな(きれいな)改造は見たことがあります。しかし、素人が簡単に改造できるのか、またオリジナルのライカスクリューマウントに戻せるのかは不明でした。Summarexのレンズ構成から考えて簡単なはずなのですが。それを証明すべく分解してみました。結果は、素人でも改造できます。また元のライカSMに戻せます。EOSだけでなくNikon Fでも同じです。筒を切ったり、穴を開けたりする必要はありません。瞬間接着剤は使いますので、絞り輪が多少汚れます。


大きさはEnnarytとだいたい同じですね。このレンズは一見きれいですが、コーティングは痛んでいます。シリアルナンバーから1951年(昭和26年)製造のようです。


刻印はあっさりしています。


フードが大きくて目立つので、レンズの一生懸命刻印しても見えないですね。フードの良し悪しで値段が変わるのもうなずけます。


このフードはEnnaryt 1.5/85とほぼ同じサイズです。Ennalyt 1.5/85mmのフードが一応取り付けられますが、Ennalytの方が0.5mmほど太いのでガタガタします。ここで、EOS 5Dが故障。全く電源が入らなくなりました。多分電源のどこかに接触不良があるのだと思います。一ヶ月ほど前から時々電源がおかしくなっていました。ここからはEOS 10Dに交代。


スクリューマウントだけ簡単に取り外せます。ヘリコイドをそのまま使ってぎりぎりバックフォーカスが確保できそうです。EOSマウントの穴にヘリコイドのお尻が入ればいいのですが。


残念。EOSマウントの穴よりSummarexのヘリコイドの方が太いので入りません。これが入らないと無限遠は出ません。したがって、オリジナルのヘリコイドを切断するか、ヘリコイドを交換するかのどちらかになります。今回はいつでもライカSMに戻せるようにヘリコイドの交換を行いました。


連動距離計のリングすらEOSマウントの穴には入りません。ここをいじると二度とライカでは使えません。


ところが、ヘリコイドをレンズヘッドをどうやって分解するのか分かりません。ビスはなく、知恵の輪のようです。苦闘すること一時間、やっと分解できました。絞り輪の手前のスクリューを発見するのにずいぶん時間がかかりました。かなり固く締めてあります。分解できてみれば実に簡単な構造です。左から、フード、前玉+絞り、後玉、ヘリコイド、被写界深度表示板、ライカSMマウント。前玉と後玉をこれ以上分解することはできませんでした。


ヘリコイドはブロニカのを使いました。ブロニカのヘリコイドは全部同じだと思っていたのですが、2種類あるようです。ちょっと長さが違います。右側の方が短いのでバックフォーカス的に有利です。ブロニカのヘリコイドはすばらしいのですが(それに安い)、下の部分がでこぼこなので、直接EOSマウントを貼れないのが唯一の欠点です。ここが工作の醍醐味でもあるのですが。実際の改造では、この部分にほとんどの時間を使うことになるでしょう。ぎりぎりにEOSマウントを貼らないと無限遠が出ません。私は横からネジで止められる古いタムロンのマウントを使いました。


Summarexのレンズヘッドにブロニカのスクリューを取り付けてもいいのですが、苦労が多く、レンズが痛みそうです。今回は単にレンズヘッドの絞り輪を瞬間接着剤でヘリコイドの先に貼りました。丁寧に扱わないと落下の危険性がありますが、かなづちで軽く叩けば簡単にはずれます。かなづちがいやなら、手でむしりとることもできるでしょう。


絞り輪でヘリコイドとつながっていますので(良く使う手ですが)、レンズの先端を回して絞りを変えます。


バックフォーカスに少し余裕がありますので、35mm一眼レフなら多分何にでも改造できます。もちろんNikon FでもOKです。


外観はさておき、ピントリングが大きくて回しやすいので使いやすいです。


ありゃ、フードの文字が真上ではありませんね。フードの文字の位置まで考えが及びませんでした。


早速F1.5開放でヘリコイドとミニトマトを試写。良く写ります。


ピクセル等倍で切り出し。シャープです。後で他の1.5/85mmと比較してみます。


2008.1.26 Kodak AERO-EKTAR再改造

せっかくの大口径レンズですので、150mmクラスのレンズ比較に参加させようと思い、まともなペンタ67マウントに再改造しました。

ペンタ67の一番長い中間リングをネジ止めするだけなので、実に簡単です。見かけを重視してビスの長さをぴったり合わせたら、何かの拍子に抜け落ちました。幸い落下は免れたのですが、どうやらビスがうまく効いていなかったようです。やはり素人らしく長めのビスを使って確実に固定した方がよさそうです。


EOSに取り付けると、こんな感じです。重いです。


2008.1.25 偽ペンタ67マウント

大口径でバックフォーカスが短いバレルレンズのを改造する場合、ペンタックス67のヘリコイド・チューブしか使えないことが多いです。ペンタックス67のヘリコイド・チューブは内径が太いので、ヘリコイドの中にすっぽりとレンズを入れてしまうことができます。元々は中間リングなので、本物のヘリコイドほどスムーズではないのですが、強度があるので大きくて重いレンズのピント合わせに使えます。もし、ブロニカのヘリコイドに入るようでしたら、ブロニカを使うべきです。元々ピント合わせ用なので格段にスムーズです。中古価格の相場はブロニカが5千円程度、ペンタ67が1万円前後です。

ペンタックス67のヘリコイド・チューブを使ってレンズを改造する時には以下の方法を使っています。

1. ペンタ67マウント ヘリコイド・チューブに取り付けた後のフランジバックがペンタ67と同じです。そのままペンタ67で使えます。正規のペンタ67-EOSアダプタ(といっても自作ですが)を使ってEOSで使も使えます。エアロエクター 2.5/178cmなどの長焦点レンズで使います。

2. EOSマウント 改造時にヘリコイド・チューブを部品として使い、レンズと一体化しています。レンズ一本にヘリコイドが一個いるので高いのが難点です。現在はKino Plasmat 2/9cmのみ。

3. 偽ペンタ67マウント1 マウントはペンタ67ですが、フランジバックが少し足りません。ヘリコイドは脱着可能。ペンタ67では近接撮影しかできません。偽ペンタ67-EOSアダプタを使ってEOSで使用可能。オピック 2/5.5inchなどのバックフォーカスが少し足りないレンズで使います。

4. 偽ペンタ67マウント2 ペンタ67ヘリコイドのオス部分をEOSに改造しています。偽ペンタ67マウントのレンズをアダプタなしで直接EOSに取り付けることができます。偽ペンタ67マウント1よりも強度がありますが、ペンタ67では全く使えません。偽ペンタ67マウント1の強度不足が心配なので、今回これを作ってみました。

これを使って、ASTRO ROSHER-KINO-PORTRAITの改造を行いました。今後活躍してくれそうです。


2008.1.24 Rosher-Kino-Portrait改造

いよいよ改造です。改造時に考慮する条件は以下の3つ。
1. バックフォーカスの余裕が10mmほどしかないので、レンズとカメラの間にヘリコイドを入れることはできません。
2. 従ってヘリコイドの中にもぐりこませるしかないのですが、鏡胴が太いので、細いヘリコイドには入りません。
3. ヘリコイドに直付けするとEOSマウント後部から後玉交換をするのは不可能なので、ヘリコイドからワンタッチで取り外せないといけません。


完成図。最初期待したブロニカのヘリコイドには太すぎて入らず、結局Pentax 67マウントになりました。外側の鏡筒をオリジナルをは前後逆に使っていますので変な格好ですが、なかなかユニークで面白いです。この状態で簡単に後玉交換ができるのが自慢。


前から見るとこんな形。全部ビス貫通で作りましたので、強いと思います。フードは不要ですね。内側に貼ってある黒い紙はオリジナルのままです。


横から見たところ。すんぐりむっくりです。


レンズがEOSマウント面の近くに迫っており、バックフォーカスにあまり余裕はありません。75mmレンズは普通こんなもんですね。


EOS 10Dに装着したところ。金ぴかの鎧を着たアストロの出来上がり。


Pentax 67のバヨネットマウントをはずして、後玉を交換します。ヘリコイドの内側の入り口のところにでっぱりがありので、すべてヤスリで削り取りました。結局改造に使った材料はPentax 67の中間リング一個のみ。


2007.1.23 Rosher-Kino-Portrait分解

さて、Rosher-Kino-Portrait分解を始めましょう。

ネジを一本抜けばふたつに分解できます。右側のがレンズ本体で、左の筒の中を前後にスライドします。レンズ本体の中に、いきなり前玉、虹彩絞り、後玉が取り付けてあります。2.3/75mmという地味なスペックの割りに鏡胴が大きいのは、フードとピント合わせ機構のためです。レンズ自体は小さなものです。


これが完全分解図。レンズ本体は既に三つに切断されています。精密ドライバーと、大小のコンパス2本と、金槌があれば何とかここまで分解できます。コンパスは小さくて精密で、角度がネジで固定できるものと、長くてネジのないものがあると便利です。角度が固定できるものは使いやすいのですが、固定ネジが邪魔になって奥まで届きません。古いレンズなのでネジがつぶれていたり固着していたりしてはずれない場合には金槌が有効です。軽くたたくと緩む場合があります。それと、布のガムテープが案外役に立ちます。つるつる滑って力が入らないところにガムテープを巻くと滑りにくくなります。

頭がマイナスの極小ボルトが錆びて固着してしまうと、どうしようもないですね。1mm以下のマイナスドライバーは力を入れるとずぐに折れるし、ネジ山はすぐにつぶれるし。今回も1本だけどうしても外れない極小ボルトがありました。この場合には、迷わずドリルで穴を開けて除去します。考えてもどうにもなりません。


本体を切断した様子。左側が前です。前を切り取ったのは、絞り輪をまわせるようにするためです。元のままでは全く回せませんでしたが、切断後は軽く回せるようになりました。後ろを切り取ったのは、バックフォーカスが足りないからです。バックフォーカスはレンズの後端から55mmほどしかありませんので、EOSマウント(44mm)に改造するには余計なものを残しておくわけにはいきません。ちょっとだけコンパウンドで磨くと、ピカピカになりました。


前玉は1群2枚です。テッサーの後玉と同じ。


もうお分かりですね。このレンズは3群4枚で逆向きのテッサー型です。但し、中玉は両凹ではなく、メニスカスです。(2008.2.4 テッサー型というのは明らかに誤りで、正しくはペッツバール(Petzval)型のレンズです。訂正します。失礼致しました。風呂に入っていて間違いに気付きました。)
前玉は共通です。
後玉1番は2群と3群のコバがくっついています。
後玉2番は2群と3群の間に0.5mmほどのスペーサーが入っています。
どうやら、Universal Heliarと同じように、レンズを移動して描写を変えているようです。後群を全部取り替えるという方法で。


レンズの断面図を描くとこんな感じです。Power Pointで書いてみたのですが、面倒くさいですね。


上部の2個が後玉本体で、下部の筒はレンズを取り付けるためだけにありますので、改造後は不要になります。後玉にはシリアルナンバーが刻印してあります。"D"というのはこのレンズのIDだと思われます。映画監督からカメラマンに,このカットは"D"を使え、といった指示が出たのかもしれません。


No 2 のスクリューがNo 1 より短いのは、私が削ったためです。No 1は最初スクリューがつぶれていて、鏡胴にねじ込むことができませんでした。ねじ込むことができないと、使うことができませんので、少しずつヤスリで削りながら修復しました。

以上で分解を終了します。レンズはひどく汚れていたのですが、軽く拭くと新品同様になりました。コーティングはかかっていませんし、ガラスは硬いので、傷は付きにくいです。バックフォーカスが分かり、絞りが動き、後玉の交換ができるようになりましたので、後は適当なヘリコイドに入れてEOSマウントにするだけです。


2008.1.22 Rosher-Kino-Portrait到着

ASTRO-GESELLSCHAFT BERLIN No 13122. ROSHER-KINO-PORTRAIT F:2.3 75mm

20日の朝、待望のRosher-Kino-Portraitが到着しました。14日にスウェーデンを出ていますので、6日で到着したことになります。

こんなものです。後玉が二個あり、それぞれ"1", "2"と刻印してあります。おお、これは2本分楽しめるじゃないかと思ったのですが、eBayの商品説明にはっきりそう書いてありました。物を見て初めて意味が分かりました。
Astro Berlin 75mm/2,3 Rosher-Kino-Portrait ,lens for DeBrie Super Parvo camera with two rear elements marked 1 and 2.Good used condition.


ASTRO-GESELLSCHAFT BERLIN No 13122. ROSHER-KINO-PORTRAIT F:2.3 75mmと前玉に刻印してあります。前玉はずいぶん奥のほうにあります。絞りは中間で止まったままで、ぴくりとも動きません。さて、どうしたものか。


DeBrie Super Parvo cameraの焦点合わせ機構は、ごついものだったようです。後玉交換用のローレットが見えます。EOSマウントに改造すると、明らかに後玉のローレットがミラーに衝突します。さて、どうしたものか。


鏡胴は3重構造になっています。一番外と真ん中のが前後にスライドしてピント合わせを行います。一番内の筒で絞り値を変えるようですが、幅がわずかしかないため全く指にかからず、さらに固着していて、全く絞りを変えることができません。さて、どうしたものか。


絞り輪の内側にギザギザがありますが、外側は平坦で、回すことができません。いったいどういう理由でこんな使いにくい構造になったのか理解不能。


レンズ後部にピント合わせ機構があるため、後玉を奥の方まで差し込む必要があります。そのため、後玉に長い筒がついているのでした。1番はネジ込むことができるのですが、2番はネジがつぶれていて差し込むことができません。さて、どうしたものか。


最初見たときには改造は絶望的と思われたのですが、結局日曜日一日がかりでEOSマウントに改造できました。これは作業風景にして、作例第一号。改造の詳細は何回かに分けてレポートします。


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