EOS10D日記その36 ---ksmt.com---10D日誌---ご意見、ご感想などこちらまで---掲示板---email: ---
2009.10.35 Speed Panchro類
Speed Panchroで検索をすると、戦前テーラー・ホブソン社の設計者だったArthur
Cox氏のThe Manual of Photo-Techniqueという本の記載が出てきます。Google
Booksでスキャンされたものです。少しだけ引用します。
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S5 indicates the construction of the T.T.&H. Speed Panchro lens which
was introduced in 1920. This is the most important lens shown on this page
and it has been adopted and elaborated by nearly all lens manufacturers
in recent years.
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キングズレークの”写真レンズの歴史”でもVade mecumでも、OPICの開発が1920年でSpeed
Panchroは1931年だと書いてあるのですが、Arthur CoxはSpeed Panchroが1920年だと書いています。これはOpic以降のダブルガウスレンズを全部ひっくるめてSpeed
Panchro型だと言っているのだと思われます。まあ、よくある話でして、改名前のZeiss
Anastigmatのことを改名後のProtarと呼んだり、改名前のDoppel Anastigmat Goerzのことを改名後のDagorと呼んだりするのと同じことだと思います。
レンズの型名には、よく統一されているもの(ペッツバール、トリプレット、テッサーなど)と、何種類も呼び方があるもの(ユニライト型/ビオメター型/クセノター型など)があります。この件に関してはイギリスでとドイツの仲が悪いようです。たとえば、ツアイスのテッサーの特許の一部はダルマイヤーのスチグマチックで先に実用化されていたので無効とされたこともあったようです。また、テッサーでさえ、イギリスではトリプレット型の一種だとすることもあるようです。まあ、自分に都合のよいように好き勝手な型名を使えば良いようです。
2009.10.34 Cooke OPIC vs. Speed Pamchro寸法比較
さて、いよいよCooke OPICとSpeed Panchroの外形寸法比較です。OPIC F2は1920年に、Speed
Panchro F2は1931年にテーラー・ホブスン社のH.W. リーが開発しました。OPICとSpeed
Panshroの決定的な違いは不明です。Speed Panchroのイギリス特許は377,537で、アメリカ特許は1,955,591ですので、これを読めば分かると思いますが、入手できていません。
以前、Vade mecumの記事を元に、次のような仮説を立てました。
仮説1: 1920年代の末、テーラー・ホブスン社のWilfred Taylorがハリウッドに売り込み旅行に行った時、F2の明るさで歪みのないレンズが求められているとの感触を得た。テーラー・ホブスン社はOPICからSpeed
Panchroというアメリカで受けそうな名前に改名して売り込みに成功し、ハリウッドの標準レンズになった。
この仮説を裏付けるようなデータは、今のところありません。もし名前を変えただけなら、あるシリアルナンバーまでがOPICで、その次からがSpeed Panchroでもよさそうですが、実際はそうではありません。OPICより古いSpeed Panchroが確認されていますので、やはり何か大きな変更があったと考える方が自然だと思います。
Speed Panchro 3in、Opic 4.25in、Opic 5.5inの断面比較。左は同一縮尺。右はOpic
4.25inを基準に、3inには1.417倍、5.5inには0.773倍をかけて、大きさを揃えています。明らかに違いがあります。
重ねてプロットするとこうなります。黒線と青線のOpicはぴったり重なり、赤線のSpeed
Panchroは大きく異なります。やはり仮説1は誤りだったようです。そこで、仮説2を立ててみました。
仮説2: OPICレンズはスチル写真用に画角を広くしていたので収差補正には限界があった。そこで、Speed
Panchroでは35mm映画用に画角を狭くして、収差を徹底的に補正した。これがハリウッドで認められ、Speed
Panchroの名声が一気に高まった。スチル写真用にOPICを引き続き販売されたが人気は出ず、すぐに製造中止となった。スチル写真の世界ではツアイスのテッサーとゾナーの人気に対抗することはできなかった。
ダブルガウスの第三群を薄くするとトポゴンの性質が現れ広角に有利、第三群を厚くすると狭角での収差補正に有利、との説を読んだことがありますのでそれを根拠に仮説2を立てました。
2009.10.33 Cooke OPIC 2/4.25in測り直し
Speed Panchro 3inの構成図をOPIC 4.25inと比べようとしたのですが、OPIC 4.25inの構成図が怪しいことに気付きました。コバの扱いが悪かったようです。再度計測しなおしました。今度は合っていると思います。
New accurate version
レンズはノギスでは直接測れない部分がたくさんあります。ノギスをわずかに傾けただけで、すぐに0.2ミリくらい違ってしまいます。絞り板の
ような柔らかいものは、ノギスを軽く当てただけで歪んでしまいます。分解できないところがあると、さらに計測が難しくなります。最初はノギスの目盛を信用するしかないのですが、慣れてくると、パッと見て1.5mmくらいとか、5mmから6mmの間とかの感覚が身に付きます。直接ノギスを当てられない所を苦労して間接的に測って算出した値が妥当かどうかの判断できるようになります。全く見えないが指で触ることはできるという場所もあります。この場合も、慣れれば指の感覚で割と正確な距離が出せるようになります。
30本くらい分解・計測・作図して、やっと少し慣れてきました。しかし、精密加工業の方は大変だろうなぁと思います。ノギスで正確な距離を測るのがこんなに大変だとは思いませんでした。数字が怪しので測り直したら0.5mmくらい違ったということが、よくあります。
Old poor drawing
これが2週間ほど前に測った時の構成図。第三群のコバ厚は何と0.8mmも違います。まだしばらくは寸法線を入れておく必要があるようです。それと、JW_CADを使わなければ、こんな細かいこと分からなかったです。無償なのに素晴らしく使いやすいJW_CADに感謝。
2009.10.32 Speed Panchro 2/75mmの構成図
スピードパンクロの第三群が鏡筒から抜けないので、以前は寸法が測れませんでした。しかし、慣れるにつれて、この状態でも割と正確に測れるようになりました。
第二群と第三群が厚いです。このレンズの元になったOPICよりだいぶ厚いようです。OPICとSpeed
Panchroの中身は同じだろうと思っていたのですが、どうやらかなり違うようです。
2009.10.31 Ross Xpres 1.9/75mmの構成図
Ross Xpres 1.9/75mmの構成図ですが、Vade mecumには多分次のようなものだろうと書いてあります。
念のためうちのレンズで確認したところ、全く同じでした。
張り合わせ面は不明ですので、点線で書きました。
ちなみに、Vade mecumでXPRES 1.9と同じGauss High Speed型(図Q18)であろうとの記載がある主なレンズは、次のとおりです。
Angenieux type S1, type S21
Argus Cintagon f1.9/50mm (Argus C-44 1957-1958)
Astro Gauss Tachar f2.0
Berthiot Flor f2.0, f2.8
ISCO Westrocolor f1.9/50mm (Exakta) 1960
Kodak Ektar f1.9/50mm
Leidolf Lordon f1.9/50mm (for Lordomat) 1956-1960 Enna製?
Leitz Summar f2.0/50mm
Helios-44 f2.0/58mm
2009.10.30 Cooke Technicolor 2/35mmの構成図 (2)
このレンズを買った時の日誌を見ると、マスターレンズはトリプレットだと誤認しています。多分当時はCookeと言えばトリップレットだと思い込んでいたためでしょう。それに当時は中途半端にしか分解できなかったせいもあります。今回は全部に分解した写真を掲載します。
このレンズで面白いのは、完全フェードアウト機能が付いていることです。
絞って行くと、脇からしゃもじのようなものが出てきます。
そして最後には絞りの穴を完全に塞ぎます。完全に真っ暗になってフェードアウト完了です。この機能は写真用のレンズには必要なく、シネ専用であることは明らかです。しかし、他では見たことがなく、シネレンズで一般的な機能なのかは分かりません。
最初の逆望遠型広角レンズの構造が良く分かるという意味においては、非常に面白いレンズです。超広角レンズは現在でも前玉が大きい割には暗いのですが、これは逆望遠レンズの明るさが前玉(ワイコン部分)ではなく、マスターレンズの大きさによって決まっているせいだと思われます。現代の広角レンズの構成図を見ても、ワイコン部分とマスターレンズ部分が別々だった時代の面影が残っているような気がします。
2009.10.29 Cooke Technicolor 2/35mmの構成図
「写真レンズの歴史」(ルドルフ・キングズレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマ)から引用します。
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1931年、テーラー・ホブスン社のH.W. リーが3色分解テクニカラー・カメラ用に焦点距離35mm
F2レンズを設計した。このカメラではレンズの後ろに置く色分解用のガラス部品が広い場所をとるので、焦点距離50mm以下の普通のレンズは使えなかったのである。
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1931年というと、H.W. リーが有名なスピード・パンクロを開発した年でもあります。リーは明るくて解像力の高いスピード・パンクロをマスターレンズとして使い、その前に大きなワイド・コンバータを置くことにより、逆望遠レンズとしました。この手法は広角のプロジェクターを実現するために1929年あたりから既に使われていたようです。H.W.
リーはこれを改善し、35mmテクニカラー映画に必要な画質を達成しました。戦後、逆望遠レンズは主に8mm映画用に使われました。その後、一眼レフが出現すると、アンジェニュー社がいち早くレトロフォーカスという商品名で逆望遠レンズを製造し、これが一般的な名称になりました。
さて、Technicolorの構成図です。6群8枚もあると大変です。分解・計測・作図に4時間もかかってしまいました。
左側がワイドコンバータ部分、右側がマスターレンズ部分。スピードパンクロそのものです。
Vade mecumにはワイコンを張り合わせたバージョンが掲載されています。マスターレンズ部分は私の描いた構成図とほぼ同じです。ワイコン分離型の構成図は掲載されていませんが、ガラスの屈折率と分散のデータが出ています。ご興味のある方は、Vade
mecumをご覧ください。
最初は50mmのマスターレンズ+0.75倍のワイコンくらいだろうと推定したのですが、この寸法からするとF2より暗くなってしまいます。カメラに付けて確認したところ、どうやら44mm F1.9くらいのマスターレンズ+0.8倍のワイコンのようです。たった9mm焦点距離を短縮するために、こんなに大きなワイコンを取り付けたということになりますね。
ちなみに、マスターレンズだけで使用した場合35mmフルサイズ(36x24mm)をカバーできそうです。このレンズが全体として35mmシネ(18x24mm程度)しかカバーできないのは、ワイコンが小さいせいです。つまり、マスターレンズをワイコンを別々に設計したのではレンズが大きくなりすぎるということのようです。
2009.10.28 WRAY CRT 1.0/2inの構成図
「写真レンズの歴史」(ルドルフ・キングズレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマ)から引用します。
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レイ(Wray)に入社後間もない1944年に、C. G. ワイン(C. G. Wynne)は、ダブル・ガウス型の後群の凹のダブレットを分割し、その凹エレメントにベンディングを加え、絞りに向かって凹の深いメニスカスのすることにより、分割した凸エレメントが不要になると考えた。この案を用いて彼は3本の優れたレンズを設計した。F2ユニライト(Unilite)、F1.9シネ・ユニライト(Cine
Unilite)、倍率4:1のCRTレンズがそれである。
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倍率4:1のCRTレンズ(F1.0/50mm)の構成図を描いてみました。
5群もあると計測が面倒です。第一群と第二群はわずか0.1mmしか離れていませんし、第四群と第五群の間もわずか0.2mmです。キングズレークの本に掲載されている構成図と同じでした。ただし、F1.0と名乗るのはちょっと無理があります。せいぜいF1.1だと思います。まあ、近接専用のレンズですので露出倍率もかかりますから、実効的にはF1.4くらいだと思われます。
このレンズをEOS 5Dに目いっぱい頑張って取り付けると、レンズの先から5cmのところにピントが合います。F4まで絞ってもイメージサークルは16mmフィルムをカバーする程度です。後玉が太すぎてレンジファインダーにも改造できず、写真レンズとしての実用性はありません。ただその分安いので、分解してレンズの中身を鑑賞するだけでも元は取れると思います。
2009.10.27 Unar 4.7/145mmの構成図
スチグマチックでアルディスが使った薄い空気間隔は妙案だったようです。「写真レンズの歴史」(ルドルフ・キングズレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマ)から引用します。
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前節の終わりのほうで述べたように、1895年に、H.L. アルディスはスチグマチックの球面収差を補正するため、凸レンズの形をした薄い空気間隔を採用した。このため、強い発散性の張り合わせ面を用いるより輪帯球面収差の残量が相当少なくなった。さらに空気間隔を用いる利点はその空気間隔の両側のガラスの屈折率を同じにしても良いというガラスの選択の自由度が増加することで、これは張り合わせレンズでは不可能なことである。
1899年、パウル・ルドルフはこのことを知り、自分のアナスチグマットの二つの張り合わせ面を薄い空気間隔に置き換えて、図6.5に見られるウナーを製作した。
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ということで、Unarを分解・計測・作図してみました。
構成図は本に出ているのとほぼ同じです。しかし、どうしてUnarが中古市場にほとんど存在しないのは不思議でなりません。ツアイスの黄色い電話帳のTable
1(年度別集計)では1900年から1907年にかけてUnarが約7,500本生産されたと記載されています。しかし、同じ本のTable
2(個別シリアルナンバー表)で確認できるのはわずか100本ほどです。いったいウナーは何本作られて、どこへ行ってしまったのでしょうか?
2009.10.26 Stigmatic 6/7.6inの構成図
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1895年にダルメヤー社の秘書であったヒュー・L・アルディス(Hugh L. Aldis)がツアイスのアナスチグマットを復活させて新しいシリーズを作り、スチグマチックと名付けた。ツアイスのアナスチグマットでは前群は旧型の色消しで、システム全体の屈折力を受け持っている形となっている。アルディスは前群の強い貼り合わせ面を凸レンズの形のせまい空気間隔に置き換えた。この空気間隔は球面収差の補正については張り合わせ面と同じ効果があり、さらに輪帯収差では良い結果が得られた。ツアイスの設計者パウル・ルドルフもこの考えを後のウナーやテッサーに使っている。
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「写真レンズの歴史」(ルドルフ・キングズレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマ)から引用。
この文章は要点を簡潔にまとめていますので、素晴らしいと思います。ただ、若干分かりにくいところがありますので、Vade
mecumを参考にしつつ、多少脚色を加えてみたいと思います。
----- ksmt.com 仮説 -------
1894年(明治27年)の暮も押し詰まったある日の朝、ダルメヤー親方は機嫌が悪かった。ツアイスのアナスチグマットの評判にあやかって、ゲルツばかりかクックまで新しいレンズをアナスチグマットだと称して宣伝を始めたので、ダルメヤーの主力商品である伝統的なペッツバール型人物用レンズが売れゆきが落ちてきたのである。アナスチグマットブーム到来である。ダルメヤー親方は工場長に新しいアナスチグマットを作るよう指令を出した。しかし、工場にいる職人は昔ながらのペッツバール・レンズを作らせたら天下一品だが、新しいレンズには興味がなかった。今まで5万3千本も出荷したペッツバール・レンズを誇りにしていた。それに比べて、ツアイスはまだたったの1万本しか写真用のレンズを作っていなかったので、アナスチグマットをばかにしていたのである。確かに写真館で人物の肖像写真を撮るだけであれば、中心がシャープで周辺が大きくボケるペッツバール・レンズは、まだまだアナスチグマットに勝っていた。しかし、時代はアマチュア写真家が屋外で小型カメラを使う方向へ動き出していたのである。
工場長に頼んでも埒があかないので、怒ったダルメヤー親方は秘書のアルディスにアナスチグマットを設計できる学者を探してくるよう命令した。実はアルディスは親方に隠れて密かにツアイスのアナスチグマットを研究していた。秘書の仕事が暇だったからである。アルディスはツアイスのルドルフがあきらめてしまったアナスチグマットの輪帯収差を改善するアイデアを既に持っていた。アルディスがこの話をダルメヤー親方に打ち明けると、親方は一言、”やってみなはれ”、と言った。
------- 仮説終わり --------
ということで、Stigmatic F6の断面図です。
前群の空気間隔は僅か0.2mmしかなく、非常に薄いです。0.2mmでは図面上で線が重なってしまいますので、0.4mmで作図してあります。それと、第3群の方が第2群より少し厚いです。キングズレークの本やVade
mecumに出ている断面図とは、これらの点が異なります。
第一群は凹レンズ、第二群は強い凸レンズ。第一群と第二群を合わせた前群は弱い凸レンズ(焦点距離15インチ)。第三群(後群)も弱い凸レンズ(焦点距離11インチ)。前後合わせて7.6インチになります。
こちらはVade mecumから引用。
1年ほど前に、探していたスチグマチックF4が見つかったとカメラ屋さんから連絡頂いたのですが、要点距離が12inch(300mm)で長すぎたので、購入は見送りました。もう少し焦点距離の短いレンズを探そうと思います。寺崎さんのスチグマチックのページを見ると、6inch(15cm)があるようですので、これが理想的ですね。12inchは一番長い玉だったようです。
2009.10.25 ROSS WIDE ANGLE XPRES 4/5inの構成図
C.P. GoerzのDagorは大成功しますが、輪帯球面収差があるので、あまり明るくできませんでした。内側の強い貼り合わせ面を凸レンズの形をした空気間隔に置き換えることにより、この収差を激減させることができます。1903年、シュルツ・アンド・ビラーベック社のアーバイトが特許を取り、F4.5まで明るくした空気間隔入りのダゴールをオイリプランをいう名前で売りだします。同じような構成のレンズには、ザッツ・プラズマット、ドッペル・プラズマット、オルソメター、ジンマー、そしてこのロス・ワイド・アングル・エクスプレスなどがあります。
キングズレークの「写真レンズの歴史」には次のように書かれています。
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これに似たロスの広角エクスプレス(Xpres)は、±35度の画角でほとんど歪曲がなかったことから、1932年にトポゴン(Topogon)やメトロゴン(Metrogon)が出現するまでの長い期間、航空写真用の標準レンズであった。
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ROSS WIDE ANGLE XPRES 4/5inがやっと分解できました。
前群の方が若干薄くてカーブがきつく、後群は厚くてカーブが緩いようです。
2009.10.24 コバ塗り
Zeiss Anastigmat 4.5/183mmの後群のコバ塗りがはげてしまっているので、簡単に塗ってみました。
元はこんな感じ。前群のコバ塗りは新品同様なのに、後群だけ完全にハゲています。理由は不明。
コバ塗り後。水性の黒サインペンで塗ってみたのですが、水をはじくようで、全く塗れませんでした。何かの本で墨を塗ると良いと読んだ記憶があるのですが、水で溶いても塗れそうにありません。油性の溶剤に墨を溶けばよいと思われますが、面倒くさい。
これを見ればお分かりかと思いますが、今回は鉛筆で塗ってみました。
使用したのは4Bの鉛筆。
蛍光灯に透かしてみると、そこそこ効果がでているようです。
拡大するとこんな感じ。塗りむらがありますが、何も塗らないよりはかなり良いようです。簡単で効果があることが分かりましたが、難点は触ると手が黒くなること。
ちなみにこちらは前群。オリジナルのコバ塗りは完璧です。
2009.10.23 Zeiss Anastigmat 4.5/183mmの構成図
1893年(明治26年)1月28日、未明から降りだした雪の中、一台の荷馬車がカール・ツアイスの工場からイエナ駅に向かって走りだしました。馬車は凍てつくザール川に沿ったクネーベル通りをゆっくりと進みます。昨日深夜に出荷検査にパスした5本のアナスチグマット
183mm F4.5を今日中にI-Blende工場に届けなければなりません。去年の秋に受注した9本のアナスチグマット
183mm F4.5のうち、4本は去年の11月12日に納品していますので、今日の5本で納品完了です。後は、貨物列車が雪で止まらないことを祈るだけです。
1892年5月12日に初出荷されたツアイス・アナスチグマット・レンズ I類F4.5は、わずか11ヶ月後の1893年4月12日が最後の出荷となりました。この間に製造された記録があるのはわずか31本。183mm
F4.5は結局1月28日の出荷が最後となりました。
1899年にアナスチグマットはプロターに改名されますが、この時点で生産されていたアナスチグマットは、II類 F6.3、IIa類 F8、III類 F7.2、IIIa類 F9、V類 F18だけで、I類 F4.5はとっくの昔に生産を終えていました。つまり、アナスチグマットI類はあっても、プロターI類はない、ということです。アナスチグマット I類(資料、作例)に替わるものとしては、プラナーIa類(資料、作例)やウナーIb類(資料、作例)が生産されました。
以上は、ツアイスの黄色い電話帳を見ながら、Zeiss Anastigmat 4.5/183mm No
4475の出荷の様子を若干の脚色を交えて描いてみました。いやぁ、脚色は大変です。ツアイスのイエナの工場がどこにあって、何川沿いの何通りを通って何駅に行くのかさえ調べられません。いいかげん調べ疲れて適当に書きましたので間違っているかもしれませんが、ご容赦下さい。
さて、こちらは実測ですので、割と正確な断面図です。点線は文献を見て推測。とにかく前玉がやたらと厚いのに驚きます。これだけ厚いとコバ塗りが重要になります。前群のコバ塗りがはげてしまっているので、塗らなければと思いながら、まだできていません。しかし、やはりこの構成でF4.5を達成するのは難しかったようで、これを設計したパウル・ルドルフは、この型による大口径化をあきらめた三年後にプラナーの設計に着手します。
2009.10.22 Astro Gauss-Tachar 2/75mmの構成図
やっと第一群を第二群の分解に成功しました。ただし、第二群は鏡筒の奥に入ったままですので、正確に計測できない部分があります。まあ、多少の誤差には目をつぶって、作図してみました。
第4群の左側の面はほぼ平面のようです。平面かどうか確認するのは案外難しいですね。
100mmレンズを0.75倍して75mmレンズの上に重ねてみると、曲率はほぼ同じです。第二群と第三群の間隔が少し違うようですが、計測誤差かもしれません。完全に分解できない状態で、ここの距離を正確に測るのはなかなか難しいのです。
2009.10.21 Astro Gauss-Tachar 2/100mmの構成図
清掃を点検をかねてGauss-Tachar 2/100mmを分解・計測・作図してみました。
その名もAstro-Berlinという名前の有名なHP(http://www.exaklaus.de/astro.htm)があり、ここにGauss-Tacharの構成図が出ています。
ほぼ同じ図ができました。マウントの都合上、第4群の端が少し切り落とされているようです。第三群と同じ太さなので、金属加工の工数も削減できています。
各エレメントには鉛筆でシリアルナンバーの下2桁が書き込んでありました。組み間違いということはなさそうです。
第一群
第二群
第三群
第四群
これだけ読めませんが、多分77なのでしょう。
レンズと金物が完全に分離できるのは清掃や再研磨などに適しますが、組み立て不良が起こる可能性が少し高いと思われます。
2009.10.20 Dallmeyer Super-Six 1.9/3"の構成図
Super-Sixは大変人気の高いレンズですが、あまり構成図を見る機会はありません。歴史書ではOPICの後に出たダブルガウス大口径レンズの一種として扱われるためです。Super-Six 1.9/3"を計測して構成図を描いてみました。
Vade mecumにはこのような構成図が出ています。
私の描いた構成図はすべて左が前です。Vade mecumとほぼ同じであることが確認できました。貼り合わせ面の位置と曲率は分からないため、Vade
mecumをまねて点線で描き入れました。
Vade mecumに次のような記載がありました。簡単に要約します。
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TTHはOPICの特許を広くライセンス供与した。Dallmeyerもこのライセンスを受けた可能性が高い。しかし、同じ焦点距離のOPICとSuper-Sixのレンズのカーブは違うので、Dallmeyerが独自の思想に基づいて独自の詳細設計をした可能性が高い。Super-Sixは1930年頃から販売され、撮影用、複写用、プロジェクタ用など高速レンズが必要とされる分野で、馬車馬のように働いた。
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第二群の貼り合わせ面のカーブと第三群の貼り合わせ面のカーブが逆なので、電球の下でレンズの傾きを変えた時、貼り合わせ面の反射の移動方向が異なるのではないかと思いましたが、試してみたところ同じでした。いまいち良く分かりません。
2009.10.19 Goerz Lynkeioskop(RR)の構成図
カール・モーザーの設計したラピッド・レクチリニア・レンズ(RR)の傑作と言われるリンカイオスコープの構成図を描いてみました。焦点距離やF値の表示jはありませんが、このSerie
C No.5はだいたいf6.3/300mmくらいです。「写真レンズの歴史」(ルドルフ・キングズレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマ)から引用します。
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(カール・モーザー人物略伝) 1885年の27歳の時、ゲルツに入社して風景用単レンズやイエナの新ガラスを使ったラピッド・レクチリニア・レンズを設計した。また、この新ガラスを使って1888年には、ゲルツ・パラプラナット(Goerz
Paraplanat)、1892年にはリンカイオスコープ(Lynkeioskop)を完成した。僅か34歳の若さで1892年に亡くなり、跡をエミール・フォン・フーフが継いでいる。
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製造は1903年頃だと思います。まだ金ニスもはげておらず、レンズの傷もなく、良い状態を保っています。しかしながら、人気はなく、安く買えます。絞り指標が4から192までありますが、これがGoerz独自の指標でして、F値でいうとF6.3からF45に相当します。換算表はこちらをご覧ください。
ガラスと金物を分離することはできず、貼り合わせの位置を確認できませんでした。今回の計測と作図で特に新しい事実は発見できませんでしたが、このレンズにぴったり合う68mmくらいのスクリューのメスを発見したので、後できれいな一眼レフ用のアダプタを制作したいと思います。
2009.10.18 Dallmeyer 3D (ペッツバール)の構成図
1910年代後半、つまり大正時代のポートレートレンズです。焦点距離の記載はありませんが、多分330mm F6.0くらいだと思います。このレンズの中心部分は絞り開放から恐ろしくシャープです。デジタル一眼レフとの相性は良いです。デジタル一眼レフは出始めのころ、古いレンズは画質が落ちると言われましたが、いったいあれは何だったのだろうという感じです。
中玉はどうしてもはずれません。薄い真鍮の板で作られているので、ちょっと叩いたり捻ったりすると凹みます。こんな柔らかい材質によく旋盤でネジを切ったものだと感心します。
本に出ているダルマイヤー特許のペッツバールレンズの構成図とだいたい同じです。第一群の後ろ側の凹面の曲率が結構ある点が少し本と違います。ペッツバール博士のオリジナルのレンズとは後群が反転していますが、反転しても性能に大差はないそうです。レンズを一枚ずつ虫眼鏡のように使ってみると、第一群はわずかに拡大、第三群はわずかに縮小して、これら2枚を合わせると、ほとんど屈折力はありません。第二群は強い拡大レンズです。つまり第一群と第三群は収差補正用レンズだと思われます。
このレンズの難点は全長が長いことです。写真スタジオの中でポートレートを撮影するには何の問題もありませんが、気軽に外に持ち出すわけにはいきません。望遠レンズとして狭い画角で使う時は良いのですが、像面の歪曲があるため風景用の広角レンズとしては使えません。このレンズを見ていると、写真レンズの歴史は小型軽量化と広角化だったのだなぁと感じられます。
2009.10.17 Opic 2/5.5inchの構成図
Cooke Opic 4.25inchが分解できたのに5.5inchが分解できないのはくやしいので、頑張って分解してみました。金物に若干の劣化があり苦労しました。
第三群だけは金物からガラスを取り外すことができましたので、コバを見て貼り合わせ面の位置が特定できました。貼り合わせ面の曲率は依然不明です。
断面図を書いてみると、Opic 4.25inchとは違い、良く見る対称的なOPICでした。4.25inchと5.5inchで違う設計なのか?
ここはCADの強みで、Opic 4.25inchと5.5inchを重ねてみました。4.25inchは5.5inchの約0.77倍なので、5.5inchを0.77倍に縮小して重ねました。
ほぼぴったりと一致します。第二群の内側のカーブが少し違うのは計測ミスだと思います。一見して違うように見えたのは、4.25inchの第三群の周囲が切り落とされていたためのようです。切り落とされた部分は光学的にはほとんど寄与しないのだと思われます。多分後玉を57mmのスクリューの中に納める必要があったので、第三群の切り落としが行われたのでしょう。
2009.10.16 Opic 2/4.25inchの構成図
「第1期の流行が終わると、ダブル・ガウス型はしばらく設計者から忘れられていたが、1920年に再び現れ、テーラー・ホブスン社のH.W.
リーが一般カメラ用に画角±23度で、F2まで明るくすることに成功した。このレンズの設計手順は公表されている。リーのレンズが異なる点は、その非対称性と、フリントに替わり、より屈折率の高いクラウンの使用である。このレンズはオピック(Opic)あるいはシリーズOと呼ばれ、テーラー・ホブスンの「カタログ」に長く出ていた。」(写真レンズの歴史、ルドルフ・キングズレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマから引用)
Opicの構成図はVade mecumでは次の図が使われています。他の文献でもだいたい同じです。
かなり左右対称ですね。うちにあるOpic 2/4.25inchを計測して確認してみました。
かなり前玉と後玉の大きさが違います。点線で示した貼り合わせ面の位置と曲率は不明です。ガラス部を金属枠から取り外すことはできず、コバ面は確認できていません。
Opicはなぜか中古市場にほとんど存在しません。日本で2本、アメリカで1本見ただけです。いったいどこへ行ってしまったのでしょうか? それとも元々の生産本数が少ないのか?
2009.10.15 花押を読む
「花押を読む」(佐藤進一著、平凡社新書)はなかなか面白かったです。佐藤氏がこの本を書かれた1988年の時点では、未解明の花押もたくさんあったようです。花押は唐の時代に中国ではじまり、日本でも平安時代あたりから使われだしたそうです。今日においても大臣が閣議文書に署名するときには花押を使用しているそうです。
織田信長は頻繁に花押を変えたようで、I型からVIII型まであります。日時が記載されていない古文書では、花押から年代を特定することもあるそうです。
織田信長 I型 天文18年頃 足利式花押
織田信長 II型 天文21・22年頃 信長の二字を横書きにして裏返しにしたもの
織田信長 III型 永禄元年頃 意味不明
織田信長 IV型 永禄3〜7年頃 意味不明
織田信長 V型 永禄8〜12年頃 「麟」の字の草書体を元に図案化。平和を祈願した。
織田信長 VI型 永禄12〜元亀2年頃 V型の変形
織田信長 VII型 元亀2〜天正2年頃 VI型の変形
織田信長 VIII型 天正8年頃 VII型の変形
花押はどこか写真レンズの断面図と共通するところがあって、興味をひかれました。
2009.10.14 Planar 3.6/110mmの構成図
キングズレークの”写真レンズの歴史”にはPlanarに関して次のように書いてあります。
「パウル・ルドルフは自分のF4.5アナスチグマットに満足できなかったので、1896年、ダブルガウス型に関心を移した。」
1896年当時、Zeissで一番明るいレンズはAnastigmat I類 F4.5だったのですが、確かに絞り開放では、あまり性能が良くありません。中央部のシャープネスでは、古典的なペッツバールやラピッドレクチリニアに負けそうです。さらに、1893年頃にはクックのトリプレットや、ゲルツのダブル・アナスチグマットなどの新しい高性能レンズが出ており、これらには明らかに負けています。これはまずいと思ったルドルフ親方は、プラナーIa類の設計に取りかかりました。しかし、ツアイスの台帳を見ても、開発直後のプラナーIa類はほんのわずかしか記載されていません。プラナーの台帳が焼失したせいかもしれませんが、それにしても少ないです。1900年にUnar
Ibの出荷が開始されるまで、わずか31本しか台帳に記載されていません。そのうち一眼レフで使えそうなのは、
F4.5/100mm 1本
F3.6/83mm 2本
F4.5/75mm 10本
くらいです。他は20mmとか250mmとかが多いです。
1900年に出荷が開始されたUnar Ib F4.5-5.6はなかなか性能が良く、一気に販売が立ち上がります。プラナーも併売されますが、数量はUnarより少ないです。さらに1902年になるとTessar
IIb F6.3が発売され、一気に販売量を伸ばします。1900-1905年の販売本数は次のようになります。
Planar Ia F4.5-5.6 1,622本
Unar Ib F4.5-5.6 2,455本
Tessar IIb F6.3 4,623本
Protar F8-18 約10,000本
Protarlinse F12.5 6,783本
当時はまだ良い引き伸ばし機がなく、大きな写真を得るには、大きな乾板を使わなければなりませんでした。なので、焦点距離が長くて暗くてイメージサークルの大きなレンズが主流だったのです。プラナーは明るいのですが、大きなイメージサークルを得ようとするとレンズが重くなりすぎました。プラナーに始まるダブルガウス系の大口径レンズが真価を発揮するのは、小型フィルムの登場を待たなければなりません。
前置きが長くなりましたが、1899年製造と思われる
Carl Zeiss Jena Planar 1:3,6 F=110mm D.R.P. 92313 Serie Ia No 9 No 36606
の分解にやっと成功しました。買ってから既に3年たっています。分解のコツがやっと分かってきました。
寺崎さんの六櫻社のHPのPlanarの項目を見ると、このプラナー9番は前玉後玉の焦点距離に差がある半均斉式。前玉と後玉は非常に良く似ています。特に第二群と第三群はそっくりで、金具も同じなので入れ替えることができます。計測誤差が目立ちそうで怖いですね。
やっと分解できました。
第二群と第三群は同じに見えます。
良く見ると、小さな文字は刻印してあります。
第一群と第二群には"V4"と刻印してあるように見えます。意味は分かりませんが、ペアであることを示しているようです。
第三群と第四群には"4"と刻印してあるように見えます。前後の金具が同じなので、間違えないように刻印してあるようです。
2009.10.13 Rodenstock Eurynar F3.5の構成
大野さんからRodenstock Eurynar 3.5/15cmの構成に関する質問を頂きましたので、調べてみました。
質問:::
Doppel Anasutigmat Eurynar 3.5 15cm という古いレンズをカメラごと持っておりますが、未だ撮影したことはありません。このレンズの性能やら構成枚数等が分かりません。おそらく、4枚構成かと思っていますが、レンズの反射像は6重になって映ります。3枚か、あるいは6枚かのどちらかと思うのですが・・・。カメラは、Munchen
Photo-Kino-Optikの大判ですが、ロールホルダーは枠よりも小さめの6×9cm判に収めてあります。どなたかお分かりの方がおられましたならお教えいただきたいと思います。
回答:;:
Vade mecumに、次のような記載がありました。
Rodenstock Eurynarはメジャーな製品で、1909-1914年の間には約5万本も販売された。1924年に設計の見直しが行われた。1925年の雑誌広告にはDialyt型の断面図が掲載されている。しかし、他の型のレンズが無いとは言えない。
Rodenstock Eurynar f3.5 75mm-150mm
Doppel Anastigmatと書いてありますので、対称型のレンズであることは間違いないと思います。Dialyt型のレンズで他に有名なものとしては、
C.P. Goerz - Double Anastigmat Goerz type B (1899), Celor, Syntor, Dogmar
Steinheil - Unofocal (1901)
なお、ローデンストック社のレンズは製造番号表からレンズの製造年を推定することができます。
2009.10.12 Linhof Planar 2.8/100mm構成図
シンクロコンパーシャッターにLinhofと刻印してありますので、多分リンホフ・テヒニカ6x9に付いていたと思われるPlanar 2.8/100mmです。どこを探しても構成図が見つからなかったので、自分で分解して作図してみました。1954年に500本リンホフに出荷されたうちの一本です。買った時の日誌を見ると、逆ビオメタール型と書いています。しかし、第二群が厚いので、どちらかというと逆ユニライト型と呼んだ方が良いと思います。
このレンズは前玉より後玉の方が大きいので、まぎらわしいです。イメージサークルを大きくするために、後玉を大きくしたのかもしれません。
第3群の貼り合わせ面のカーブは不明です。最初は平面の貼り合わせだと思っていたのですが、反射を見ると緩い曲率があるような気がします。
前玉のガラスは無色ですが、3枚目は緑色で、5枚目は黄色いです。
金物はあまり扱いやすくありません。第二群と第三群はガラスと力いっぱい押さないと金具にうまく入ってくれません。第四群を止めている金具は薄すぎて、うまく回せません。戦前のレンズに比べると、かなりコストダウンされている感じです。通常の使用でここまで分解する必要はありませんので、実用上は問題ありません。
なぜこんなに緑色なのか不思議です。コバに緑色の塗料を塗ったようにも見えます。
絞りに向かった斜めの面だけが丁寧にコバ塗りしてあり、他の面は削りっぱなしです。2面だけのコバ塗りで、内面反射を防げるような設計になっているようです。
探していた逆ユニライト型のレンズが既にうちにあることが分かってうれしいのですが、プラナーになぜこの型が採用されたのかは不明です。辻定彦氏の「レンズ設計のすべて」には、「Gaussタイプの前群の接合を一枚に置き換えることでも、同様の設計が可能となるはずである。しかし、実際に設計してみると、性能的には前者(ユニライト型)に比べ劣る。」 と書いてあります。
2009.10.11 WATSON 1.9/5in借用
WATSON BARNET ENGLAND 5in f/1.9 T/2.1 No S 182x
大変めずらしいWATSON 1.9/5inをお借りしました。Vade mecumに3インチと4インチは記載されていますが、5インチは記載されていません。私は最近までこのレンズの存在さえ知りませんでした。
堂々としたレンズです。Vade mecumから要約します。
1946年頃、ワトソン社は映画またはテレビの撮影機を制作した。そこにはワトソン製のコーティングされたf1.9/3inレンズが取り付けられていた。WATSON
LONDON No S 151x と刻印された黒い塗装のレンズである。WATSON BARNET No S
195xと刻印された T=2.1 4inレンズもある。T値が刻印されているので、映画用かテレビ用のレンズであることが分かる。これらの大口径レンズは、テーラー・ホブソン社からWrayに移ったホプキンス氏の設計だと思われる。
Vade mecumにテーラー・ホブソン社の設計者の移籍先が記載されています。豪華メンバーですね。
H.W. Lee :: Scophony-Baird ---> Pullin ---> consultant for Dallmeyer
A. Cox :: "Photographic Optics"執筆 ---> Bell & Howell
Charles Wynne :: Wray ---> Imperial Collage
Harold H Hopkins :: Watson
他にも何人か出ていますが、写真レンズの歴史書に登場するのはこの4人です。
左がうちの3インチで右が借用した5インチ。Vade mecumに書いてある通りですね。
3インチの方は改造に使われたヘリコイドが大きいだけで、レンズ自体は割と小さいです。
3インチはニコンFマウント。5インチはペンタックス67マウント。
絞り指標はT値のみ。
試写が楽しみです。戦後の映画用レンズであるDallmeyer Super-Six 4in, Astro
Gauss Tachar 4in, Kinoptik Apochromat 4inと比較してみたいと思います。やっぱりテーラー・ホブソンのレンズを比較しなければならないような気がしますが、Speed
Panchro 4.25inがないのが厳しいところです。Opic 4.25inやOpic 5.5inは戦前のレンズなので、比較にならないだろうなぁ。
2009.10.10 Dallmeyer Speed Anastigmat 1.5/3"二本比較
うちにあるダルマイヤー・スピード・アナスチグマット 1.5/3"だけを見てDallmeyer
Speed Anastigmat全体を論ずるのは無理があると思い、もう一本同じレンズをお借りしました。シリアルナンバーは371xxxで、私の318147番より少し新しいです。Vade
mecumを見ると、1945年がだいたい340000番くらいだそうです。1945年の340000番以前はコーティングなし、それ以降はコーティングがかかっているそうです。
左側がお借りしたもの。1940年代後半で、コーティングあり。右が私のもの。1940年代前半でコーティングなし。
お借りしたレンズの反射が青いので、はっきりとコーティングが分かります。
371xxxはアルミの鏡筒で割と軽いです。318147は真鍮の鏡筒でとても重いです。あれぇ、同じニコンFマウントなのにちょっと長さが違いますね。
どちらも少々オーバーインフの状態ですが、やはり少し長さが違います。
どちらもニコンFマウントに改造されています。元々は全部シネレンズです。
ヘリコイドは全く違うものです。左側の戦後の物の方が操作性が格段に良いです。
ヘリコイドを含めると比較しにくいので、レンズヘッドだけ抜いてみました。レンズヘッドの前側(この写真では下側)はほとんど同じです。後ろ側は戦後の物の方が少し短いです。
前玉だけ、そーっと、はずさせて頂きました。戦後の物の方が少し厚いようです。
良く見ると、戦後の物はスクリューが最後までねじ込まれておらず、浮いています。
借り物が傷つかないよう慎重にスクリューを緩めると、第一群と第二群の間に0.5mmほどの厚みのスペーサーが入っていました。これがあるので、第二群のスクリューが少し浮いていたようです。このスペーサーが何の目的で入っているのかは不明です。ここにスペースを空けることによって、レンズの全長を短縮したのかもしれません。いずれにしろ、試写が楽しみです。
2009.10.9 Trioplan 2.8/75mmの構成図
簡単な3枚玉であるTrioplan 2.8/75mmを計測・作図してみました。これはあっという間に終了しました。
製造効率の高そうな設計です。一枚目の裏面はほぼ平面。三枚目の絞り側の面も非常に緩いカーブです。これなら一度に大量のレンズうぃ研磨できそうです。
大きさを示すために、Kino Plasmat 1.5/7.5cmの断面図を重ねてみました。同じ焦点距離でも、2絞り弱暗くすると、これだけ小型化できるわけですね。
2009.10.8 Kino Plasmat 1.5/9cmの構成図
Kino Plasmat 1.5/9cmを分解、計測、作図しました。4群をバラバラに分解は非常に簡単なのですが、ガラスを金属枠から取りだすことはできません。なので、直接ノギスで測ることができず、面倒くさいです。しかし、最初に買ったキノ・プラズマットですし、ずいぶん勉強させてもらったレンズなので、できるだけ丁寧に計測しました。
Hugo Meyer & Co Gorlitz Plasmat f:1.5 F=9cm D.R.P Dr. Rudolph Nr. 582679
パッと見、Kino Plasmat 1.5/7.5cmよりレンズが薄いですね。9cmのレンズを7.5cmと同じ設計で作ると重くなりすぎるので、少しレンズを薄くして軽量化しているのかもしれません。1922年の設計ですので、全てのレンズで100mmの図面を書いて、他の焦点距離は単純に縮小して製造していたと思っていたのですが、このレンズに関しては、そうもいかなかったようです。
同じ縮尺でKino Plasmat 7.5cmと9cmの断面図を重ねてみました。絞りを一致させています。私の計測誤差がありますので厳密なことは分かりませんが、9cmの方は第一群を少し薄くして、第二群と第三群の間隔を少し縮めたようです。シリアルナンバーは1.5/7.5cmが503313で、1.5/9cmが582679ですので、そんなに違いません。Kino Plasmat 9cmを他の焦点距離と同じ比率で作ったら、重量が重すぎるし全長が長すぎてカメラメーカーからクレームがついたので、第一群を少し薄くして、絞り前後の間隔を縮めた、ということかもしれませんね。確かにA.O. Rothのナハトレフでは、後玉とミラーとの衝突を避けるためにレンズを削っていますので、全長の短縮は重要だったようです。
どうやら、構成図を2枚重ねて初めて分かることがあるようです。
2009.10.7 エルノスターの絞りの位置
エルノスターの絞りの位置が気になってしょうがないので、もう少し調べてみました。まあ、こんな重箱の隅をつついても大勢に影響はないのですが、やっぱり気になります。手元にある資料を引用して、表を作ってみました。
ERNOSTAR F2 | ERNOSTAR F1.8 | ERNOSTAR F2.7 | |
Kingslake *1 | between group 3 and 4 |
between group 3 and 4 |
between group 3 and 4 |
Yoshida *2 | between group 2 and 3 |
between group 2 and 3 |
|
Inoue *3 | No iris shown |
between group 3 and 4 |
|
Vade mecum *4 | between group 2 and 3 |
||
ksmt *5 | between group 2 and 3 |
between group 2 and 3 |
Source:
*1 Rudolf Kingslake "A History of the Photographic Lens" Figure
7.9
*2 Syotarou Yoshida "Syashin Renzu no kagaku"Figure 4.33, 4.34
*3 Yasuo Inoue "Syashin Kogyo 2005 6" ERNOSTAR 12.5cm F1.8, "Syashin
Kogyo 2005.11" ERNOSTAR 110mm F2.7
*4 "A Lens Collector's Vade mecum 2ns Edition" Figure Ern001
*5 http://www.ksmt.com/eos10d/eos_nikki_body36.htm#091006
ERNOSTAR F2とF1.8に関しては、どうやらキングズレーク氏の勘違いのようですね。他の資料は第2群と第3群の間に絞りがあります。ERNOSTAR
F2.7は持っていないので、分かりません。
2009.10.6 ERNOSTAR 1.8/10.5cm構成図
レンズの分解、寸法計測、作図、清掃、組み立て、という作業をやっているのですが、これはなかなか楽しいです。結構新たな発見がありますし、レンズがきれいになります。さて、今日はエルノスター f1.8/10.5cmを作図しましたのでご紹介します。まずは断面図をご覧ください。
この図を見て驚きました。キングズレークの「写真レンズの歴史」や、辻定彦氏の「レンズ設計のすべて」で見た構成図と絞りの位置が違います。これらの本では絞りは第三群と第四群の間にあるのですが、私のレンズではひとつ手前に絞りがありました。Vade
mecumの図"Ern001"を見ると私と同じ位置に絞りがあります。多分誰かが図を写し間違えて、それが引き継がれたのだと思います。あるいは、絞りの位置が違う2種類のエルノスター
F1.8があったのかもしれません。ERNOSTAR F1.8をお持ちの方は、是非調べてみてください。
もうひとつ興味深いのは、第四群の前後のカーブが全く同じということです。一旦分解すると、前後が全く分からなくなります。しかたないので、表向きと裏向きを両方試してみたのですが、無限遠の位置は全く変わりませんでした。ということは、どちら向きに取り付けても良いということです。第四群の両面にわずかな傷がついていましたので、このレンズは製造jから80年ほどの間に少なくとも一度は向きが変わったようです。
こちらは寸法入りの図です。PrtScで画面をコピーしたので、JPEGに変換するとどうしてもモワモワと線が滲みます。一方、一枚目の図は一旦PDFに印刷したので滲んでいません。これはPDF出力時にアンチエイリアスがかかったためだと思います。Jw_cadの画面はアンチエイリアスがかかっていないので、空間周波数が高く、うまくJPEGに変換できません。PDF出力時にアンチエイリアスがかかると、これが一種のローパスフィルターの役目をするので、きれいなJPEGになるのだと思います。
2009.10.5 リヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギー
リヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギー氏(長い名前なので栄次郎と呼びます)は、鳩山由紀夫首相の「友愛」ですっかり有名になりましたが、私はハプスブルク家の末裔だと勘違いしていました。冷静に考えれば、苗字がハプスブルクではないわけですから、当然ハプスブルク家の末裔ではないわけです。神聖ローマ帝国やオーストリア・ハンガリー帝国の皇帝には苗字がなかったのですが、帝政廃止後なので苗字があるはずですね。Wikipediaによると、最後の皇帝カール一世の息子オットー氏はオットー・フォン・ハプスブルクと呼ばれているようですし、孫のカール氏はカール・ハプスブルク=ロートリンゲンと呼ばれているようです。
オットー氏はドイツ在住なので「フォン」を名乗ることができるのですが、カール氏はオーストリア在住なので「フォン」を名乗ることができないようです。オーストリアでは「フォン」と名乗ることなど、貴族の称号を一切認めていないのですね。歴史を感じます。
ところで、オットー氏のフルネームは
Franz Josef Otto Robert Maria Anton Karl Max Heinrich Sixtus Xavier
Felix Rene Ludwig Gaetano Pius Ignazius von Habsburg-Lothringen
オットーが3番目の名前というところが不思議ですね。それと、vonの前が名前で、後ろが苗字なのかもしれません。ひょっとすると、このvonは日本でいうところの、「みなもとの」とか「たいらの」の「の」に相当するのかもしれませんね。
本題に戻ると、栄次郎の母である青山光子は、ハプスブルグ家に嫁いだとばかり思っていたのですが、実は「日本でただ1人、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ一世と会話した人物」だったようです。勘違いも甚だしいですね。
2009.10.4 Plaubel Supracomar, Neocomar
アンチコマーを調べたついでに、Vade mecumでプラウベルの他のレンズ調べましたので、ちょっと紹介します。
Anticomar以外で一般的なのは、次のようなレンズです。
Orthar f5.2-f6.8 (Gauss-4? or Dialyt type?)
Wide Angle Orthar f6.8-f16.5 (Gauss-4 or Protar?)
Makinar f4.2-f6.3 (Dagor type)
TeleMakinar f4.8-f6.3
実用性の高い堅実なレンズばかりですね。
しかし、わずかではありますがSupracomarやNeocomarという名前の大口径も作っていたようです。
SupraComar f2.0/45mm(50mm?) on 3x4, 6x4.5 Makinettes (6g4c Gauss) (1934)
Supracomar f2.5/80mm for Makiflex (mid 1950's)
Neocomar f1.8 No details, this was possibly for cine.
私も初めて知りました。Neocomar f1.8ははたして存在するのでしょうか?
2009.10.3 Plaubel Anticomar 2.8/75mmの構成図
Vade mecumを見ると、プラウベルのアンチコマーレンズには、たくさんの種類があるようです。
F2.7 5cm for 3x4cm Makinette VP camera (Tessar type, 1927)
F2.8 75mm on Baby Makinette and Rollop (1935)
F2.9 90mm on Stereo Makina, 100mm, 125mm, 150mm, 165mm(9x12cm Makina),
180mm (Tessar type)
F3.0 VP 4.5x6cm Makina(1925)
F3.2 100mm
F3.5 100mm on Aeral camera (1955), 70mm on 6x4.5 Optima folder(1934)
F3.9 60mm on Stereo Makina
F4.2 100mm, 150mm, 165mm, 300mm(covers 8x10)
アンチコマーのレンズ構成については、一般に1931-2年まではトリプレット型、それ以降はテッサー型と書いてあります。
うちにあるAnticomar 2.8/75mmについては、Vade mecumには次のように書いてあります。
The carefull examination of the rear cell shows two bright reflexions only.
後玉は単レンズだと言っているわけです。しかし、残念ながら前玉については何も書いてありません。
もし、Anticomarにはトリプレット型かテッサー型しかないと仮定すると、後玉が単レンズということは、すなわちトリプレット型ということになります。しかし、このレンズは1938年頃のものだと思われますので、1931-2年より後はテッサー型という説には反することになります。
何か怪しいですね。どこかでAnticomar型があるという話を聞いたような気もします。せっかくですので、念のためAnticomar
2.8/75mmを分解して確認してみました。
コンパーのシャッターに入っていると、コンパーの年表が参照できるので簡単に年代が特定できます。Compurのシリアルナンバーが5133261番なので、1938年製だと分かります。
1mmほどの小さなビスを2本抜かないと前玉が分解できませんが、なかなか抜けなくて苦労しました。
トリプレット型でも、テッサー型でもなくて、中玉貼り合わせのヘクトールに似た型でした。
中玉の前面のカーブが凸なので、ヘクトールとはちょっと違います。この型のレンズは他では見たことがないので、一応アンチコマー型と呼びます。これは、なかなかの発見でして、面白い型だと思います。全体にカーブが緩いので、一度にたくさんのレンズエレメントを研磨でき、量産向きの設計だと思います。
あり合わせの材料で52mmスクリューを取り付けました。
ヘリコイドに取り付けたところ。同じ年代のトリオプランなどと描写の比較をしてみたいと思います。
2009.10.2 Jw_cadでレンズの断面図を描く (10) 画像出力
Jw_cadから画像出力する方法を説明します。うちのパソコンにはAdobe Acrobat
8 Standardが付属していましたので、その前提で書きます。もしAcrobatがない場合には、無料のPDF変換ソフトが出ていますので、これらを利用して下さい。
1 一番まともな方法は、「ファイル-->印刷」でプリンタ名に"Adobe
PDF"のような仮想プリンタを指定して、「ファイルへ出力」にチェックをつけて印刷します。その後PDFからjpegに変換します。
PDFのトリミング、jpegファイル出力などは、Acrobat Standardで行います。
トリミングは、「ツール-->高度な編集-->トリミングツール」コマンドを用います。
jpeg出力は、「ファイル-->名前を付けて保存」で、ファイルの種類でJPEGを指定します。
PDF経由で出力した上のjpegファイルのサイズは24KB。きれいです。
2 PDFからjpegではなくPNGを出力する方法もあります。
PDFからPNGを出力してみると、たったの6KBでした。どうしてもファイルサイズを小さくしたいときには有効だと思います。
3 PrtScボタンを押す
面倒くさいのでPDFなんか経由してられない、という人は、原始的なプリントスクリーン"PrtSc"ボタンを使う方法もあります。私はだいたいこの方法です。当然ですが、点線が画面で見るのと全く同じです。メニューを画像に含める場合にはPrtScしか方法がありません。PDFを経由すると、点線の間隔がずいぶん広くなっていましたので、使いにくい場合があるかもしれません。
ご存じだとは思いますが、念のためPrtScの使い方を説明します。
1. 現在表示されているパソコンの画面を"PrtSc"でクリップボードにコピーします。
2. 適当な画像編集ソフトでペーストをすると、先ほどコピーしたパソコンの画面が取り込まれます。
3. 後は画像編集ソフトで適当に編集や画像出力を行います。上の図はIrfanViewで画質50でjpeg出力したものですが、画像サイズがPDF経由より少し大きい29KBもあるのに、画像は美しくないです。
2009.10.1 Dallmeyer Speed Anastigmat 1.5/75 再々改造
二年前にこのレンズを買った時には、ヘリコイドリングが固くて回せず、手作りの大きなピントリングを取り付けました。これでヘリコイドが回るようになったのですが、しばらく使っているうちにヘリコイドの動きを制限するピンがはずれてしまい、レンズヘッドがヘリコイドから抜け落ちるようになりました。最短の1mまで直進ヘリコイドを繰り出すと、必ずレンズヘッドが抜けて、回転ヘリコイドになります。一度抜けたヘリコイドを元に戻すのが大変で、1m付近のピントを合わせるのが困難になりました。写りがあまりにもすばらしいので、ヘリコイドの問題には目をつぶってきたのですが、やっと抜本的対策をすることにしました。
手作りのピントリング。これで何とか回せるようになったが、外観が悪すぎ。
やっと、これを外すことができました。これにはずいぶんお世話になりました。
直進ヘリコイドをあきらめて、回転ヘリコイドにしてしまおうという作戦です。一本の溝にピンをひっかけて直進ヘリコイドにしています。ヘリコイドの溝が細かくて浅いのと、直進用の溝が一本しかないのがトラブル原因でして、ツアイスやTTHのヘリコイドに比べると見劣りします。
奥に見えるのがピントリング側のピンです。
このピンを抜こうとしたのですが、どうしても抜けず、思い切って切り取りました。
これで単純な回転ヘリコイドなりました。ぐるぐるまわすと、50cmまで寄れます。、さらに回すとヘッドが抜け落ちるので、注意が必要です。でも、とにかくスムーズで実用的なヘリコイドになりました。
もうひとつの問題は、マウント金具の組み立て強度が足りないのではないかという不安です。
ニコンのマウント金具の標準的なネジ穴は 1 なのですが、ここにビスと打つとピントリングが回らなくなるのは明らかです。しかし実際はビスが打ってあるにもかかわらず、ピントリングは回ります。ということは、1の穴に入っていたビスはダミーということになります。ビスを強引に抜いてみると、何とネジの頭だけを切り取って接着剤で貼ってあり、ネジ山はゼロ個。まさに飾りネジですね。
実際のネジ穴は 2 なのですが、3か所打ってあるビスのうち、まともに効いていたのは1本だけで、後の2本はかなり怪しい状態でした。要するに、マウント金具を接着剤とビス1本でレンズに貼っただけだったのです。2の穴はレンズをマウント金具の境界に打ったつもりなのでしょうが、実際にはほとんどマウント金具にかかっておらず、あまり効いていませんでした。そこで 3 に穴をあけ直して、ビスを打ち直しました。まあ、これで一応マウント金具の組み立て強度の問題も解決できました。
このレンズはヘリコイドが異常に固く、手では回せなかったので、買った直後に返品してもよかったのです。しかし、なにしろすばらしい写りで、いろいろ工夫して使う値打ちがありました。買った当時は知らなかったのですが、入手困難なレンズのようです。私が知る限り、その後の2年間で売りに出たのはたったの1本で、私が買ったのより相当に高い値段がついていました。