2014.8.17 Seta 瀬田

Camera: Canon 5D Mark II
Darlot Paris F.100

近江國一之宮 建部大社の船幸祭。建部大社は日本武尊を祭っています。古事記を読むと、日本武尊がひときわ悲しい物語として描かれています。父景行天皇の命令に従い、女装して九州の熊襲建を討ち、友を裏切って出雲の出雲建を殺し、東京湾を渡るために妻を犠牲にして東国を制圧したのに、父から評価されない。天皇にはなれず、故郷の大和に帰る途中で伊吹山の神の怒りに触れ、父を思いながら死ぬ。

ちなみに、『 常陸国風土記』では倭武天皇、『阿波国風土記』逸文では倭健天皇(または倭健天皇命)と書くそうです。 なので、大和政権から見ると天皇ではないが、地方から見ると天皇だったとも言えるようです。

古事記の著者はなんでこんなに日本武尊はいじめるのか? これはたぶん古事記が教科書として使われていたからではないかと思います。
授業が歴史の時間から地理の時間に変わったのです。なんとか寝るのをこらえていた生徒も、地理の時間になるとこらえきれずに寝てしまうのです。これを防ぐために、とにかく悲しい物語を作らなければならなかったのだと思います。

正確な日本地図がない奈良時代、高級官僚を目指す子弟にどうやって日本の地理を教えるかが問題でした。 貴族の子弟は奈良の都を離れる気はなく、田舎には興味がないのです。だから寝てしまいます。 そこで先生は考えました。九州では女装してスケベ熊襲を退治し、出雲では親友を裏切って殺し、 東京湾では妻を犠牲にし、生徒の興味を引き続けなければならなかったのです。子弟に日本の地名を覚えてもらうために。(これは筆者の個人的な意見であり、何ら裏付けはありません)











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