EOS10D日記その24
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2008.5.25 フォーカシングスクリーンの明るさ2
コンデジでファインダー画像を撮影するのは楽しかったのですが、もっと簡単な方法を思いつきました。ファインダースクリーンを交換すると、カスタムファンクションでファインダースクリーンをEe-A,
Ee-D, Ee-Sのどれか指定する必要があります。つまり、測光に影響を与える分けですから、その影響の度合いはカスタムファンクションで正確に設定できるわけです。同じレンズ、絞り、シャッタースピード、フォーカシングスクリーンで、カスタムファンクションの設定だけ変えて撮影してみました。
仮説としては、光がフォーカシングスクリーンを通った後でペンタプリズム付近で測光をしている。カスタムファンクションでスクリーンのタイプを指定して露出を補正している。とすると、
仮説1: 明るいスクリーンの設定で暗いスクリーンを使うと、露出計に入る光の量が減るのでAvでは遅いシャッター速度となり、写真は明るめに写る。
仮説2: 暗いスクリーンの設定で明るいスクリーンを使うと、露出計に入る光の量が増えるのでAvでは速いシャッター速度となり、写真は暗めに写る。
仮説3: マニュアル露出では影響を与えない。
Av(絞り優先AE)の結果(DPP2の表示):
仮説通りの結果が出ました。Ee-Dを装着して、Ee-Aの設定にすると仮説1どおり1/3絞り明るく写り、Ee-Sの設定にすると仮説2どおり1/3絞り暗く写ります。仮説3は撮影時にはミラーが跳ね上がってフォーカシングスクリーンをふさいでしまうので、自明です。しかし、私は最初これを理解しておらず、無駄なテストをして仮設3の実証をしたのでした。
まとめ: EOS 5Dの方眼プレシジョンマットEe-Dは標準プレシジョンマットEe-Aより約1/3絞り暗い。スーパープレシジョンマットEe-SはEe-Aに比べて多分2/3絞り暗い。人間の目はファインダースクリーンの1/3絞りの変化に敏感である。
2008.5.24 フォーカシングスクリーンの明るさ1
EOS 5Dのフォーカシングスクリーンを標準プレシジョンマットから方眼プレシジョンマットに変更して、ファインダーをのぞくと大変暗く感じます。一絞りくらい暗くなったように感じるのですが、実際はどうなのか測ってみました。
一眼レフのファインダーにコンデジ(先日修理から返ってきたCanon PowerShot
A75をくっつけて撮影すると、AFでピントが合います。コンデジを完全マニュアル設定で、ISO400,
F3.5, 1/250 に固定して撮影してみました。しかし、まさか何の工夫もなく一発でファインダーの中が撮影できるとは思いませんでした。このコンデジは絞り値、シャッター速度、フォーカスがすべてマニュアルで指定できるので便利です。
標準プレシジョンマットEe-A
レースのカーテンが写っていますので、変な縦じまが写っていますが気にしないでください。見事にフォーカシングスクリーンに合焦しています。
方眼プレシジョンマット Ee-D
わずかに暗くなっているかもしれないという程度で、ほとんど明るさは変わらないです。ファインダーが暗くなったと感じるのは気のせい、あるいはすりガラス(実際にはプラスチック)の擦り方が変わったせいかもしれません。
2008.5.23 フォーカシングスクリーン交換
昨日の記事に大きな誤りがありました。ミラーとフォーカシングスクリーンは全く別のものでして、フォーカシングスクリーンを変えてもミラーの傷は残るのでした。そういえばカメラの中を清掃中にフォーカシングスクリーンがはずれたことがありました。ミラーの傷には目をつぶることにして、フォーカシングスクリーンを方眼プレシジョンマットに変更しました。
購入したEOS 5D用方眼プレシジョンマットEe-D。
上部の爪を手前に引っ張ると、スクリーンが下がってきます。取り付ける時は、ただ上にオスだけです。
ミラーと同じ角度まで落ちてきますので、右側のでっぱりを専用工具でつまみます。
手で触ってはいけません。汚れると落ちないそうです。
こんな方眼が書いてあります。
最後にカスタムファンクションC.Fn-00 を1:Ee-Dに設定して作業終了です。1分もあればできる簡単な作業でした。
先ほどちらっとみえましたが、ミラーに先端中央が2mmほど欠けていますので、セロテープで補強してこれいじょう広がらないようにしました。このセロテープはファインダーからは全く見えません。
2008.5.22 OLD DELFT ALGULAR無理やり改造の代償
EOS 5DでめでたくALPA ALGULARの無限遠を出すことができたのですが、多少代償を支払わなければなりませんでした。少しレンズのお尻を削ってテストするとまだミラーと衝突するので、もう少し削って、また衝突して、もう少し削ってというのを繰り返すわけですが、そのせいで、ミラーが少し欠けました。まあ撮影に支障はないのですが、破片が撮像素子に傷をつけると怖いので、方眼プレシジョンマットを買おうと思います。2,450円なり。
削って削って金属部分はミラーと衝突しなくなったのですが、今度はレンズのガラスとミラーが衝突しだしました。ピント合わせを易しくするため、若干オーバーインフにしてあるので、無限遠より向こうでシャッターを切るとレンズに傷がつきます。つまし、無限遠とミラー衝突が紙一重なのです。まあ、もともと傷だらけのレンズなので影響はないのですが。
2008.5.21 OLD DELFT ALGULAR 無限遠可能のEOSマウント
OLD DELFT ALGULAR 3.2/135mm modified to Canon EOS 5D. Infinite is OK, finally
after some trials.
135mmレンズだと普通十分バックフォーカスがあるのでEOSに改造するのには苦労しないのですが、デルフトのALGULAR
3.2/135mmは苦労しました。EOSのフランジ面より6mmほどレンズを下げて、金属部分を思い切りやすりで削らねばなりません。
ブロニカのヘリコイドを使ったので、スクリューがちょうど絞り輪の位置と重なります。なので、ヘリコイドと絞り輪を接続して、レンズを回して絞りを変える方法しかありません。
絞りの指標は読めなくなりますので、自分でシールを貼りました。
EOS 5Dのミラーが跳ね上がると、レンズ上部の金属にぶつかりますので、この部分を削り落します。
このあたりが無限遠です。これでミラーとの干渉をかろうじて回避できます。
EOSに取り付けたところ。見た目は悪いですが、操作性は抜群です。
2008.5.17 OLD DELFT ALGULAR
ALPA ALGULAR 1:3.2/135 556138 (SYSTEM OLD DELFT) MADE IN SWIRZERLAND
OLD DELFTのALGULAR 3.2/135です。ちょっと見は2群4枚の古典望遠レンズなのですが、それにしてはF3.2は明るすぎます。レンズの反射を見ると3群のようです。レンズは筒の一番前と一番後ろについています。ということは、テレゾナー型? とにかくトリプレットでもテッサーでも古典望遠でもないことは確かです。値段はわけあって激安です。
問題はこのレンズを取り付けるカメラ、すなわちアルパがないことです。EOSではバックフォーカスが足りないようです。135mmでバックフォーカスがこれほど短いレンズは初めてです。
無限遠は無理でも、近接のみなら何とかなりそうだし、ひょっとしたら無限遠いがぎりぎり出せるかもしれないという淡い期待も。
後玉がアルパのフランジ面より後ろにあるので、これは厳しいですね。
安いわけは、ふき傷です。青いコーティングが思いきり傷ついています。このころのコーティングは非常に柔らかいので、拭けば必ず傷つきます。レンズの内側ですので、分解清掃した時についた傷です。写りにはほとんど関係なさそうです。普通の人は嫌がるので激安なわけです。
簡単に分解分解できます。予想通り私は初めて見る型でした。古典望遠レンズの前に凸のメニスカスが一枚追加されています。このスペックならトリプレットでもよいはずなのですが、多分ヘリコイドが共通のため内面反射を恐れて後玉が後ろにある望遠タイプを選んだものと思われます。この構成ならヘリコイド内部に反射防止を行う必要はありません。
真ん中の大きなレンズの内側に拭き傷がありました。反射は青いですが、この角度から見ると無色です。
右側が前。
レンズの構成はだいたいこんな感じ。曲率はいいかげんです。
EOSマウントへの改造は大いに手こずりました。別のヘリコイドを使えばぎりぎり無限遠が出るかもしれないのですが、そうするともう何のレンズだか分からなくなります。今回は無限遠はあきらめて、外観重視でオリジナルのヘリコイドを使うことにしました。
オリジナルのヘリコイドはEOSマウントの穴より太いため、これが限界です。
黒い革を貼って完成。これで4mより手前なら写せます。
2008.5.16 PowerShot A75 無償修理完了
ちょうど一週間でCanon PowerShot A75の修理が終わって宅急便で返ってきました。リコールなので速いですね。送料も含めて無料。予想通りCCDユニット交換でした。
2008.5.14 ESECショー出展中
東京ビッグサイトで今日から3日間開催される第11回組み込みシステム開発技術展(ESEC)に出展しています。3日間ずっとショー会場にいますので、日記はお休みします。
2008.5.12 登戸
登戸で古い街並みを撮ろうと思ったのですが、あまり残っていませんでした。駅は立派になっています。南武線の駅は溝の口も、武蔵中原も、武蔵小杉も立派になっています。特に高架になった駅では、昔を思い出すことすらできません。踏切が減って、渋滞が緩和されたようです。
古い街の方が写真は撮りやすいのですが、そんなことも言っていられないので、新しい街に新しい風景を見つけなきゃいけないのかなぁ、などと思ったわけです。
2008.5.11 OpenGLのテクスチャマッピング
OpenGL ES on Python のブログをはじめた時は毎日ちょっとづつ書こうと思ったのですが、なかなか思難しいですね。行き詰ると一歩も進まなくなるので、1日か2日悩んでしまい、えらい時間がかかります。行き詰まっている時には本に書いてあることの意味が分からず、なんて初心者に不親切な本なんだろうと思います。
ところが、進む時には一気に進むのです。そして本に書いてあることがよく分かります。そうすると、最初は不親切に思えた文章が、普通の文章に見えます。もう二度と分からない人の気持を取り戻すことはできず、従って本を分かりやすく書きなおす必要は感じられないし、分かりやすく書くこともできなくなります。もし仮に分かりやすい本があったとして、分かった後で読むと、クドイと思うわけです。ということで、分かっていない初心者に対して、分かっている人が親切な解説書を書くのは無理なんじゃないかと思ったのでした。
2008.5.10 欲しいレンズ30 ライツ エルカン(ELCAN)
エルカンはErnst Leitz CANadaの略のようですので、レンズ名というよりは会社名ですね。工業用だと思われるレンズが時々安く出てきます。先日75mm
F2と150mm F2.8をEOS 5Dにかざしてみたのですが、両方バックフォーカスが足りませんでした。150mmの方は望遠のようです。それにレンズの後玉が太すぎて、EOSのマウントの中に入らないのです。これが入れば何とか無限遠が出そうなのですが。工業用のレンズの場合には装置の小型化のため、バックフォーカスを短く設計してあるのかもしれません。
それと、エルカンと言えば全てダブルガウス6枚玉の絞りの直後に一枚メニスカスを入れた5群7枚型、すなわちズミルックス35mmF1.4と同じ型のレンズだと思っていたのですが、そうではないかもしれません。焦点距離が2倍違うのにバックフォーカスがあまり変わらないという点から、こう推測できます。注意が必要ですね。まあ気長に探すことにします。
2008.5.9 PowerShot A75 無償修理
コンパクトデジカメCanon PowerShot A75で撮ったシュールな作品。ではなくて、どうやら故障したようです。メーカー保証はとっくに過ぎているので修理に出そうかどうか迷ったのですが、一応キヤノンのサービスセンターに持ち込んでみると、無償修理の対象であるとのこと。キヤノン:サポートのページにも情報が出ているとのことでした。CCDの接触不良だそうです。保証期間外でも大丈夫ですし、修理から返ってくるときの送料もタダだそうです。聞いてみるものですね。めったに使わないとはいえ、結構便利だし、2度しか使ったことのない水中ハウジングもあるし、やっぱりできる限り長く使いたいですね。
2008.5.8 PythonでOpenGL苦戦
プログラム言語Python(パイソン)を使って3次元グラフィックAPIであるOpenGLの勉強をしているのですが、なかなか進まず苦戦。性能重視のため、ハードウェアに近いステートマシン型のAPIですので、すぐに画面が真っ黒(仮想カメラの前に何も被写体がない状態)になってしまいます。2冊の本をそれぞれ2度読んでも、まだ理解できない。どこでひっかかるかといいますと、3次元空間のなかでカメラを動かすのではなく、カメラを固定して3次元空間全体を動かす仕組みのところです。もちろんこれは数学的には全く等しいのですが、あまり直観的ではありません。もうちょっと頑張ってみます。
2008.5.7 レモンの花
去年の秋に植えた元気のないレモンの苗木に元気な新芽が出、たくさん花が咲きました。
今年のゴールデンウィークは関東は天気が悪いです。
たくさん蕾がついて、たくさん蕾が落ちます。この苗木にはいったい何個くらいレモンの実を養えるのでしょうか? 去年買った時にはわずかに1個だけ実がついていました。
去年トマトを植えたところには、自然にトマトが発芽しています。雑草とみなすべきか、育ててみるか?
”やまぼうし”らしいのですが、ちょっと花が少ないです。木の上の方にしか咲いていません。
カメラ: EOS 5D
レンズ: OLYMPUS ZUIKO MACRO 3.5/50mm
2008.5.6 NIKKOR-SC 1.2/55mm
Nikon NIKKOR-SC Auto 1:1.2 f=55mm 262025
このレンズはスペックの割に大変安いです。特にEOSだとAi非改造でかまわないので、さらに安くなります。数が出回っていますので、東京の中古屋さんなら一軒に数本づつ置いてあります。これは、その中でもさらに一番安かったものですが、レンズ傷はまったくありませんでした。一般に言われているように、開放ではソフトな描写をするのではないかと思います。
よく見るとSCではなくS・Cと中点が入っています。
ピントリングの塗装がはげているのが安い理由だと思います。塗装は割と弱いようです。
後玉の大きさはニコンマウントの内径とほぼ同じです。レンズの最後尾はニコンFマウントのフランジ面より7mmほどカメラ側にあります。口径、バックフォーカスともこれが限界という感じの造りです。
EOS用のマウントアダプタを取り付け、EOS 5Dでテストしてみると、ぎりぎりセーフです。無限遠でもミラーとは干渉しません。改造なしでEOSで使うことができます。
外観はいまいちですね。もうちょっと塗装がはげていた方がいいかもしれません。ちょっと試写してみたところ、すばらしい写りです。F1.2でもシャープで、微妙に光がにじんで美しいです。F1.2でこれだけシャープなのは驚きです。
2008.5.5 欲しいレンズ29 Kern Switar
APLA用の1.8/50mm, 1.9/50mmが有名ですが、高価であり、またEOSで使うには難しい改造が必要のようでして、手を出せないでいます。16mmシネ用の75mmならまだ安いのですが、はたしてEOSにうまく改造できるのか不明です。
2008.5.4 ER補足
ベントン先生は新米ではなく、まだ研修医のようですね。residentと言っていますので、インターンが終わったけれど一人前ではないので、住み込みで働いている研修医というような意味のようです。だから給料が安く、手術もさせてもらえないようです。しかし、英単語がさっぱり分りません。医学用語、その略語、薬の商品名などがいっぱい出てくるので難しいです。辞書に出ていない単語も多いし。救急だから早口だし。
2008.5.3 欲しいレンズ28 Kleinbild Plasmat 7cmF2.7
ローランドカメラのKleinbild Plasmat 7cmF2.7です。レンズ構成はミニチュアプラズマートではないかと言われていますがよく分りません。もし買えたら分解して調べてみたいものです。ローランドカメラは状態がよければ現在でも実用に耐えるようですので、できればカメラ付きがいいのですが、非常に高価です。たまにレンズだけで売りに出ているときがあり、少しは安いのですが、やはりそれでも高いです。
2008.5.2 欲しいレンズ27 Leitz Thambar 2.2/90mm
タンバールは35mmカメラ用のソフトフォーカスとしては人気・実力ともにナンバーワンだと思われます。最近は大変高価ですので、困ったものです。ライカスクリューマウントですが、ヘッドだけはずしてヘリコイドに入れれば一眼レフでも使えるようです。
2008.5.1 ER
はじめてERを見ました。一番最初のDVDです。いきなり医者の年収が出てきて驚きましたが、ベントン先生はまだ新米のようですね。それにしてもインターンの学生に診てもらうのは恐ろしいですね。
2008.4.32 ブログでの<pre></pre>
Pythonという言語は、行頭のインデントを使った文法を持つ面白いプログラム言語です。だれが書いてもコーディングのスタイルが同じになるため、初心者にも読みやすい言語だと言えます。しかし、これをブログに載せようとすると大問題が起こります。HTMLの仕様上、Pythonのソースコードをコピペするとインデントがが崩れてしまうのです。インデントのくずれたPythonはシンタックスエラーになり実行することができません。GoogleのBloggerでは"HTML編集"というのが可能で、それなら<pre></pre>を使えばいいのですが、残念ながら、"HTML編集"から抜けた瞬間に<pre></pre>の中の改行がくずれてしまい、やっぱりダメです。<pre>と</pre>に囲まれた文字が少ないといいのですが、多いとダメのようです。"HTML編集"から抜けることなく公開してしまえば良いのですが、一旦"HTML編集"にしたら、二度と元に戻れないというのは厳しいですね。結局、<pre></pre>以外のところを先に完成させて、投稿する直前に"HTML編集"に入って<pre></pre>の中を書くというトリッキーな方法しかないようです。
プログラム言語のサンプルを載せる場合、このあたりに注意してブログのプロバイダーを選ぶべきだということが分かったという意味では、収穫があったと思います。
改行とインデントが崩れる前: def timer(value): global top, isUp if top > 0.9: isUp = 0 elif top <= -0.9: isUp = 1 if isUp: topadd = 0.1 else: topadd = -0.1 top = top + topadd glutPostRedisplay() glutTimerFunc(1000 , timer , 0) glutInit(sys.argv) glutInitWindowPosition(100 , 50) glutInitWindowSize(400 , 300) glutInitDisplayMode(GLUT_SINGLE | GLUT_RGBA) glutCreateWindow("Kitty on your lap") glutDisplayFunc(disp) glutTimerFunc(100 , timer , 0) glutMainLoop() </pre>
崩れた後:
def timer(value):
global top, isUp
if top > 0.9:
isUp = 0
elif top <= -0.9: isUp = 1 if isUp: topadd = 0.1 else: topadd = -0.1 top = top + topadd glutPostRedisplay() glutTimerFunc(1000 , timer , 0) glutInit(sys.argv) glutInitWindowPosition(100 , 50) glutInitWindowSize(400 , 300) glutInitDisplayMode(GLUT_SINGLE | GLUT_RGBA) glutCreateWindow("Kitty on your lap") glutDisplayFunc(disp) glutTimerFunc(100 , timer , 0) glutMainLoop() </pre>
2008.4.31 Python パイソン
今までいくつものプログラミング言語を使ってきたので、新しい言語の習得はお手の物、と言いたいところですが、やはりPythonに慣れるまでにはイライラします。丸一日かかって、やっと少し慣れてきました。
イライラの原因はもちろん私のミスが原因です。本日のミスは主に、PythonのGUIであるIDLEを使うときに、IDLEのヘルプを読まず、Pythonのチュートリアルばかり見ていた。つまり、Pythonのチュートリアルを書いた人はunixのcshを前提としており、WindowsのIDLEのことは自分で調べなければならないということのようです。これが分かってしまえば、後は順調に進むはずです。
ということで、私のブログhttp://opengl20.blogspot.com/ではIDLEユーザーを対象に親切丁寧に書いていきたいと思います。
2008.4.30 ブログ開設
仕事の都合でOpenGLを勉強することになったので、メモ帳代わりにブログを書くことにしました。はじめてのことで、よくわからないのですが、とりあえずGoogleのBloggerで作ってみることにしました。
http://opengl20.blogspot.com/
ブログに慣れないうちはとまどいもありましたが、ほんの数時間で慣れることができました。ブログが流行る理由はやはりすぐ始められることにあるようですね。
OpenGLは普通C/C++で使うものですが、Cコンパイラを最後に使ったのはずいぶん前のことですし、買うと高いし、面倒くさいです。OpenGLを使えるインタープリタはないと思っていたのですが、Pythonという言語なら使えそうなので、Pythonを採用することにしました。書式的には、Cに近いですし、インタープリタですので、ちょっとしたサンプルや調べ事にはぴったりのようです。
2008.4.29 ついにフィルムカメラ市場終焉
ダイヤモンドオンラインの4月25日の記事によりますと、今月はフィルムカメラの出荷台数が少なすぎて統計の発表を停止したそうです。3月に発表された2008年1月分の統計でも、生産が1580台(約4600万円相当)、出荷は1万1573台(約1億7200万円相当)と、寂しい数字だったようです。
2008.4.28 レンズ英語4 ペッツバール
"A History of thne Photographic Lens" (Rudolf Kigslake)からペツバールについて少し引用します。
"In designing his portrait lens, it is possible that Petzval started
out with a symmetrical arrangement of two identical telescope objectives
spaced apart back to back, but he soon found that he had to separate the
two elements in the rear doublet and bend them independently to correct
the spherical aberration and coma."
ポートレートレンズを設計するとき、ペッツバールは同じ2枚の望遠鏡のレンズを背中合せに間隔をあけて配置したデザインから始めたようだ。しばらくして、後ろ側の2枚張り合わせのレンズを分離して、別々に曲率を与えた方が球面収差とコマ収差がうまく補正できることに気付いた。
だいたいこのような文章が続くのですが、分かりやすい表現で、楽しく読めます。ただし日本語の翻訳書を何度も読んで、内容を理解しているという条件がつきます。
2008.4.26 焦点調節2
昨日の続きですが、私がバレルレンズの改造によく使うペンタ67のヘリコイドの移動量が20mm、ブロニカのヘリコイドが13mmですから、レンズの焦点距離が分かれば、だいたいの最短撮影距離が分ります。
X = f2 / (L - f)
L - f = f2/X
L = f2/X + f
ペンタ67ヘリコイドの場合、
200mmレンズ: L = 2002 / 20 + 200 = 2200mm
100mmレンズ: L = 1002 / 20 + 100 = 600mm
50mmレンズ: L = 502 / 20 + 50 = 175mm
24mmレンズ: L = 242 / 20 + 24 = 52.8mm
ブロニカのヘリコイドの場合、
200mmレンズ: L = 2002 / 13 + 200 = 3277mm
100mmレンズ: L = 1002 / 13 + 100 = 869mm
50mmレンズ: L = 502 / 13 + 50 = 242mm
24mmレンズ: L = 242 / 13 + 24 = 68mm
2008.4.26 レンズ英語3 焦点調節
focus = 焦点を合わせ
focusing device = 焦点調節機構
rack and pinion = ラックアンドピニオン
helicoid = ヘリコイド、昔はマイクロメーター(Micrometer)マウントと言う場合もあったようです。
helical focusing = ヘリコイドによる焦点調節
infinity = 無限遠
レンズの繰り出し量は次の公式で求められます。"A History of thne Photographic
Lens" (Rudolf Kigslake)から英文で引用します。
"The required movement of a lens from its infinity position when focusing
on an object at a distance L from the lens is given by the formula
X = f2 / (L - f)
where f is the focal length."
たとえば、
200mmのレンズで50cm(500mm)の距離に焦点を合わせるには、2002 / (500 - 200) = 133mm
100mmのレンズで50cm(500mm)の距離に焦点を合わせるには、1002 / (500 - 100) = 25mm
50mmのレンズで50cm(500mm)の距離に焦点を合わせるには、502 / (500 - 50) = 5.5mm
24mmのレンズで50cm(500mm)の距離に焦点を合わせるには、242 / (500 - 24) = 1.2mm
レンズを(正確にはレンズの前方ノーダルポイントを)、無限遠の位置から前に繰り出す必要があります。分母がゼロになりそうで気味悪いですが、通常被写体がレンズの中に入ることはないので問題なさそうです。
2008.4.25 レンズ英語2 絞り
日本語では”絞り”、あるいは”絞る”いう言葉は広い意味を持ってます。絞り装置のことであり、絞り値のことであり、絞る操作であり、絞り輪であるわけです。英語だともう少し多くの単語が使われます。
lens aperture = レンズの口径、開放絞り値
aperture control = 絞り制御
aperture disignation = 絞り値の系列。√20系、√2系、US絞りなどがある。
set the aperture = 絞りをセットする
stop = 絞り装置、例えばWaterhouse stopは1858年にJohn Waterhouse氏が発明したもの。
iris diaphragm = 虹彩絞り
f-stop number = 絞り値
stop down = 絞りを絞る、絞りこむこと、絞りこんだ状態
(例)The lens is aharp when stopped down to f/5.6 = F5.6まで絞るとシャープです。
(例)Stop your lens down to f/5.6. = F5.6まで絞ってください。
(例)at small stops = 絞り込んだ時
wide open, open wide = 絞りを開ける、絞りが開いた状態。
(例)Corner a bit soft when wide open = 開放では周辺が流れます。
(例)When aperture is open wide, you’ll get a shallow depth of field.
= 絞りを開けると被写界深度の薄い写真が撮れる
(例)Open up from one to two stops to add more light. = 1絞りか2絞り明けて明るくしましょう。
まあ、stop downとopen wideで良いんじゃないかと思います。ややこしいのは、small
apertureと言ったときで、絞り穴が小さくて暗いのか(普通はこちらのようですが)、あるいはF値が小さいので明るいのか、分かりにくいです。日本語の"絞り"という言葉はなかなか便利ですね。
2008.4.24 KONI-OMEGAの歴史
http://www.peterlanczak.de/koni_history.htm
にコニオメガの歴史が書いてありましたので簡単にまとめてみました。
1935 Simon兄弟がニューヨークでSimon兄弟会社を設立しオメガ引き伸ばし機の製造を始める
1941 Simon兄弟会社がフォーカルプレーンシャッターを備えた軍用偵察カメラを製作
1944 Simon兄弟会社がOMEGAを米国で商標登録
1945 軍用コンバットカメラPH-501/PFを米軍に納入
1961 後継者がなく、Simon兄弟社はBerkey Photo, Inc.に合併される
1963 Koni-Omega Rapidが"U.S. Camera"誌に発表される
1964 Simon兄弟が設計したKoni-Omega Rapidの販売開始。製造は小西六。HEXANON
58/90/180mmレンズ追加。
1965 Konica Pressという名前で日本で発売。Koni-Omega Rapidと同じ。日本ではオメガの商標使えず。
1968 Koni-Omegaflex M発表
1975 マミヤがKoni-Omega Mの製造を引き継ぐ
1981 生産終了
なかなか味わいのある歴史ですね。
2008.4.23 KONI-OMEGA HEXANON
KONI-OMEGA No.3702134 HEXANON 1:3.5 f=90mm
コニオメガのヘキサノン90mmです。コニオメガはマミヤプレスと横向きにしたような6x7cm判のカメラです。
詳しくはこちら。http://www.camerapedia.org/wiki/Koni-Omega
このレンズはHEXANON銘ですが、OMEGON銘のもあるようです。
レンズ構成は3群4枚のテッサーでコーティングされています。レンズシャッターでBと1-1/500秒です。
外観上の特長はもちろん"Ω"のマークです。
シャッターチャージレバーとシャッターレバーがカメラと連動していたようです。でっぱりが多くて改造しにくいです。
マミヤプレスと違って、ヘリコイドはついていません。6x7判の90mmなので簡単に改造できるかと思ったのですが、なんのなんの。大変困難な改造になりました。
ストロボの接点に左上に出ているのがシャッターレバー。右の長い棒がシャッターチャージレバー。
バックフォーカスは約75mmで、30mmほどの薄いヘリコイドがあればそれで終わりなのですが、うちにはありません。一番薄いブロニカのヘリコイドでも35mmほどあります。細ければペンタ67のヘリコイドの中にもぐりこませるのですが、太いのでそれも無理です。少しずつレンズ後方の金物を取り外していき、最後にはこんな姿になりました。絞り輪も撤去されてしまい。内部のレバーがむき出しです。マウントはズマレックスと同じで、ミノルタSRの中間リングから取った薄いスクリューです。これは家に2枚しかないもので、これで品切れです。また買っておかなければなりませんね。
ちょっともっともない姿ですね。実はシャッターを開けっぱなしにできなくて、シャッター幕も撤去しました。ということで、コニオメガのレンズはあまり改造に向いていません。
まあ何とかEOSに取り付けることはできたのですが。
まさかこんなに改造に苦労するとは思いませんでした。この当時は、ヘリコイドまたは蛇腹をカメラ側に置くか、交換レンズ側に置くか、はたまたブロニカのようにヘリコイドを交換式にするか、各社工夫をこらしていた時代です。ヘリコイドの製造コストが高かったためだと思われます。
2008.4.22 ガウスタッカーのフード取り付け
ガウスタッカー用のフードを探したら、ニコンのかぶせ式のが合いました。厳密にいうとフードの直径が少し大きすぎたので、中に革を貼って調整。
ついでに外側にも革を貼って完成。
あまり深いフードたと付けたまま鞄にはいらないので、短いのにしました。
ポイントは前から刻印が読めること。これが読めないとハッセルのヘリコイドとニコンのフードしか見えないことになり、何のレンズか分からなくなります。
フードの上から以前作ったキノプラズマート用のフタとかぶせれば完成。
2008.4.21 スーパーシックスのフード製作
変な形ですが、これが新規開発したフードです。大昔のノーコーティングのレンズではフードが重要だと言われますが、条件によってはフードよりハレ切りの方が良い場合があります。それは、例えば逆光に輝く若葉を撮影しようとして、しかし太陽が画面にはいるのはまずいので太陽をわずかに画面の上にはずした、というような場合です。太陽がフード下部の内面に反射して画面のコントラストが下がるのです。この場合、フードの上からさらにハレ切りして、フード下部の内面に光が当たらないようにするしかありません。フードに黒いフェルトを貼るなどの対策をしても、あまり効果は期待できません。光の入射角が浅いので、元々反射率が高いのです。そんなことなら、フードの下半分を切り落としてしまえばいいのではないかと思い、このフードを試作してみました。
このスーパーシックスは一般の49mmのフードがねじこめるので、中古のフードをハサミで切って、仕上げに薄い革を張れば完成です。
完成図。ポイントは、フードをねじ込んだ時にフードが下を向くことを確認することです。切断面が微妙なラインになっているのは、最初作ったフードでケラレが出たため、再度切り詰めたせいです。革を貼る前にケラレのチェックをした方がいいでしょう。ケラレると画面右上と左上の隅が暗くなるのですが、ケラレのせいか、レンズの元々の性能か案外判別しにくいので悩むところではあります。
2008.4.20 レンズ英語1 日焼けしたレンズ
1896年(明治29年)、デニス・テーラーは、日に焼けたレンズが、新しく磨いたレンズより光を良く通すlことに気づきました。"A
History of thne Photographic Lens" (Rudolf Kigslake)から英文で引用します。
"Around 1896, H. Dennis Taylor observed that some old lenses that
had become tarnished by exposure of the atmosphere actually transmitted
more light than a newly polished lens."
日焼けしたレンズは、tarnished lens です。曇ったレンズと訳してもいいようです。焼けた低屈折率の薄い層のことを、the
thin layer of tarnish on the lens surface had a lower reflective indexと書いてありますので、tarnishは焼けた層という意味の名詞でも使えるようです。
新シリーズの始まりです。せっかく買った英文原書ですので、すこしづつ読みながら、出てきた英単語を書き留めていきたいと思います。目的は自分用のメモです。ここに書いておかないと二度と思い出せませんので。
2008.4.19 ベイリング・グレア
”写真レンズの基礎と発展”(小倉敏布著、朝日ソノラマ)にはベイリング・グレアについて次のように書いてあります。
”もう一つ、OTFで掴み切れない性能に、ベイリング・グレア(veiling glare)がある。フレア(flare)とも呼ばれるが、収差のフレアと混同されやすいので、注意を要する。ベイリング・グレアは、レンズの面相互の反射や、鏡胴内面、絞り羽根等での反射散乱により、正規の結像に参加しないノイズ光が、像面に広がる現象である。これらをできるだけ小さくするために、レンズ面にはコーティングが施され、鏡胴内面は、つや消し塗料や特殊な植毛による対策がとられる。”
ありゃぁ〜、私の思っていたのと全然違いますね。てっきりコマ収差あるいはコマフレアと呼ばれるものだと思っていました。確かに言われてみれば、コマ収差であれば画面全体に広がることはないわけでして、ノイズ光しか考えられないですね。
コーティングのかかっていない古いレンズの場合、ベイリング・グレアに悩まされることが多いです。しかし、似たようなレンズでも出たり出なかったり、出た場合でも心地よいものと不快なものと、実にいろいろです。もちろん、改造の良し悪しで大きく変わります。そういう意味では、古いレンズの一番楽しいところ、とも言えます。
2008.4.18 欲しいレンズ26 ウルトラスチグマット
エルノスターが発売されたのは1923年ですが、その7年ほど前からエルノスターの原型となったウルトラスチグマットが製造されています。エルノスターF2はウルトラスチグマットの前から1枚目と2枚目のレンズをを張り合わせのダブレットに変えたものらしいです。さらにその後ゾナーに発展します。今ではウルトラスチグマット型も含めてエルノスター・ゾナー型と呼ばれる場合が多いようです。ウルトラスチグマットはプロ向けのシネカメラ用だったため、一般にはあまり知られなかったためだと思われます。ライツのヘクトール・ラピッドがこの型だったので驚いたのですが、焦点距離が25mmだったため、一眼レフでは使えませんでした。本家ウルトラスチグマットには75mmF1.9があるらしいので、これが欲しのです。いまだ見たことも聞いたこともありませんが。
”写真レンズの歴史” ルドルフ・キングズレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマ より引用
「トリプレットをさらに明るくする良い方法は、前側の空気間隔のところに凸のメニスカスエレメントを入れることである。最初にこの案を出したのはチャールズ・C・マイナー(Charles
C. Minor)というシカゴの光学者らしい。1916年、彼はこの形式の4枚玉レンズの特許を取り、ガンドラックが、プロ用シネカメラに向けに焦点距離40mm,
50mm, 75mmF1.9のウルトラスチグマット(Ultrastigmat)として、製造した。画角は狭かったが、シネカメラ向けであったため、問題にはならなかった。後に、いくつかのメーカーがこの簡単な構成を採用して、主として小型シネカメラ向けのF1.9レンズを製作した。例をあげれば、アグファ(Agfa)
プロリネアー(Prolinear) (以下略)」
あれぇ、Prolinearという同名のレンズがAgfaからも出ていたのですね。 RIETZSCHELのProlinearはスピーディック型でので、混乱しますね。というか、ProもLinearも非常によく使われる一般的な名前ですので、単にこれらを組み合わせた安易な名前というべきかもしれません。
2008.4.17 SUPER-SIX調整
プロジェクタ用のスーパーシックスは期待通りの描写が得られました。改造もうまくいき、スムーズなピント合わせができます。ただし、大幅にオーバーインフで、無限遠がヘリコイドの真ん中へんにあります。繰り出し量の大きなブロニカのヘリコイドなのに、最短は約1mで全くマクロの利かず、不便でした。そこで、レンズを6mmほど前に出す調整を行いました。これで約50cmまで寄れるようになりました。75mmでこれくらい寄れれば特に問題ありません。
真鍮の地肌が出て、少し派手なレンズになりました。
ズマレックスとスーパーシックスが仲良く同じブロニカのスクリューマウントになりました。
2008.4.16 Summarex 再改造
以前改造したズマレックスは使いやすく、描写も素晴らしいのですが、ブロニカのヘリコイドに直接接着剤でくっつけただけですので、落下の危険性があります。ブロニカのヘリコイドの先端の金属の厚みはわずか0.8mmしかなく、接着面積が小さいのです。後で補強のつもりでつけた合成ゴム系の接着剤は補強になっていないばかりか、外観を大きく損ねてしまいました。さらに、これを剥がした時にメッキが剥がれてしまい悲惨なことになりました。ブロニカのスクリューのオスを1mm以下に薄くして取り付ければいいのですが、この加工ができなかったのでした。
本当に落下すると困るので、がらくた箱に中をあさっていると、ミノルタSR用中間リングIIにELという薄いのを発見。これをばらばらに分解すると、厚さわずか0.6mmという薄いブロニカのスクリューのオスが取れたのでした。上の写真はスクリューマウントを取った後の残骸。ミノルタSR用中間リングII(Iは別物なのでだめです)とブロニカのスクリューが全く同じであることを利用したわけです。
0.6mmの薄いスクリューを取り付けたところ。今度は接着幅が2mmほどありますので、瞬間接着剤でも十分な強度が得られました。
メッキのはがれた絞り輪の右側に見えるのが今回接着したブロニカ=ミノルタのスクリューです。
完成図。やっとスマートになりました。もしもう一度改造する機会があれば、別のヘリコイドを使った方がいいでしょう。ブロニカのヘリコイドはスムーズでいいのですが、厚みがありすぎます。
今頃気づいたのですが、Summarexの刻印の向きがレンズ名と会社名で反対になっています。ライツのレンズはこの向きが多いようですね。
2008.4.15 欲しいレンズ25 DALLMEYER DALLAC 2/85mm
柔らい描写で評判のDALLMEYER DALLAC 2/85mmです。中望遠マニアとしては、是非欲しいところですが、ライカ・スクリューマウントだけのようで、入手困難です。一眼レフに改造するのはとてももったいなくてできないです。レンズヘッドだけ簡単にはずれればよいのですが、よく分りません。ヘッドだけ安く売りに出てくれれば理想的なのですが、相当の幸運が必要のようです。
2008.4.14 アッベ博士の時代(15) 新聞
人々が文字を読めるようになると、新聞の発行部数が飛躍的に増えます。印刷機の進歩によって大量の印刷が可能となり、電話によって遠方の記者が原稿を瞬時に送れるようになり、出版の自由が認められるようになり、広告料収入の増大が新聞の値段を引き下げ、1880年代になるとついに大衆新聞が登場します。大衆新聞隆盛のきっかけとなったのは、ユダヤ系アメリカ人ジョーゼフ・ピュリツァーでした。”帝国主義の開幕”(中山治一著 河出文庫)から引用させて頂きます。
”そしてピュリツァーは、まもなくこの瀕死の新聞をば、合衆国で最大の読者をもつ新聞に再生させることに成功したのであった。いったい、どのような方法で、ピュリツァーがそれに成功したのかというと、それは、まずセンセーショナルな見出し、単純で断片的な表現、金切声の愛国主義、漠然としているが熱狂的な改革精神、冒険や恋愛や犯罪など「万人むき」の記事、漫画や戯画やスポーツ欄や婦人のページや子供のページなどの「特別の呼びもの」、昼夜をわかたず一日に何回も出される新しい「版」、といった手段を、たくみにつかいわけ、つぎつぎと大衆によびかけることによってであった。”
2008.4.13 欲しいレンズ24 タイカ・ハリゴン58mmF1.2
”チョートクカメラ 2 ぼくのレンズたち” (田中長徳監修、ワールドフォトプレス、平成14年3月)をパラパラとめくっていたら、「タイカ・ハリゴン58mm F1.2(エクサ2A)」の記事がありましたので、引用します。
”ウチの坂崎幸之助・偽ライカ同盟総裁と、このタマのことで、55分は笑い転げたのですが・・・。
2000年の我が、偽ライカ同盟の最大の話題というのは、これは文句なくタイカでしょう。これは怪しげなエキザクタマウントの大口径レンズです。タイカシリーズには、58mmF1.2の他に、200mmF3.5という巨大なレンズとか、135mmF2.8のレンズなどもあります。”
2008.4.12 アッベ博士の時代(14) 教育
明治維新のあった1870年頃、国民のほとんどが読み書きできた国は、わずかにプロシアと、これに隣接するドイツ諸国と、スカンジナビア諸国くらいのものだったようです。これは訓練しやすい兵士を必要とした君主や、従順で敬虔な信徒を求めたプロテスタントの牧師の要望により普通教育が行われた結果でした。その後、工業化による資金と手段の提供、都市化、知的自由主義、教育普及運動などにより、各国で普通教育が行われるようになりました。たとえばイギリスの場合、1870年に全成人の66%しか読み書きできなかったのに、1900年には95%が読み書きできるようになりました。
日本では明治5年に学制発布がありましたが、それ以前にも伝統的な教育が行われていたようです。1900年(明治33年)にはかなりの割合の人が読み書きできたと思われますので、決して西欧に遅れているわけではありません。明治維新後、日本が急速に工業化し、西欧の列強に追いつき、1905年(明治38年)に早くも日露戦争に勝つことができたのは、教育の伝統にあったと言えるかもしれません。
2008.4.11 RIETZSCHEL PROLINEAR 1.9/13.5cmの絞り指標
RIETZSCHEL PROLINEAR 1.9/13.5cmの絞り指標は、絞り輪に開けられた窓のなかに表示されますが、変な系列です。
1.9, 2.2, 2.8, 3.1, 4.4, 5.5, 6.3, 7.7, 11, 15, 22
旧系列(√20系列)と新系列(√2系列)とF1.9に始まる新・旧系列の5%引きが混ざっているようです。
1.9 開放絞り
2.2 旧系列
2.8 新系列
3.1 旧系列? 旧系列の5%引き?
4.4 旧系列の5%引き? F4.0の指標がないので不便
5.5 新系列の5%引き?
7.7 新系列の5%引き?
11 新系列
15 新系列の5%引き?
22 新系列
面白いですね。多分絞り値がまだ標準化されていなかったんですね。あまり細かく絞りを調整する必要はなかったのかもしれません。
参考:以前作った絞り値表
2008.4.10 プロジェクター用のSUPER-SIX試写
プロジェクター用のSUPER-SIXを試写したところ、良好な結果を得ました。
http://www.ksmt.com/panorama/080411yoyogi/080411yoyogi.htm#super
絞りが付いていませんので開放F1.9だけですが、カメラ用のSUPER-SIX 3"と同じように解像度が高く、ハイライトがにじみます。カメラ用の3"よりは周辺の性能がよく、ほとんど流れません。周辺に関しては4"に近い性能のようです。ジオさんに頂いたコメントが分かりやすいので、引用します。
「映像を見ると、使用する用途により、(シネとプロジェクターでは)若干描写がかわってきているのでしょうね。中心がしっかり見えていれば良いレンズと、すべて映し出す映像を見せる必要があるレンズとの差が出てきている様の思えます。」
2008.4.9 プロジェクター用のSUPER-SIX
DALLMEYER SUPER-SIX ANASTIGMAT F/1.9 F=3" 371051
シネカメラ用のSUPER-SIXは値段が上がってしまい、玉数も少ないので簡単には買えません。しかし、プロジェクター用のSUPER-SIXの安いのがたまたま見つかりました。絞りが付いていないため解放でしか使えませんが、とにかくスーパーシックスには違いないようです。
フランジのスクリューはブロニカS2のヘリコイドにそのまま入りそうです。しかし山がつぶれていたので、ブロニカのチューブのオスねじを叩き込みました。たったこれだけで改造終了。
真鍮の筒の両側に前玉と後玉をねじ込んだだけのレンズです。
全部バラバラに分解したところ。
第2群と第4群のカーブがきついです。
これをブロニカのヘリコイドにEOSマウントを取り付けたものにねじ込みます。
このヘリコイドはアポクロマート 2/100mmなどと共用しています。
バックフォーカスはEOSに対して1cm以上余裕があります。
EOSに取り付けると、こんな感じです。さて、どのように写るのでしょうか。
2008.4.8 RIETZSCHEL PROLINEAR 1.9/13.5cm
RIETZSCHEL PROLINEAR F:1.9 / 13.5cm D R P 164290
カメラ屋さんでMichel Auer Collectionの本を見せて頂いたところ、次のように書いてありました。
"Mentor Reflex, 6.5 x 9cm with Prolinear f. 1.9/135mm by Rietzschel,
1925. Focal plane shutter, 1/8 to 1/1300 sec. Rotating back, frame viewfinder."
1925年(大正14年)当時、Ernostar 1.8/105mmと明るさを競ったレンズだそうです。前玉の光景は7cmほどなのですが、絞りリングが大きいため、平べったいレンズの見えます。
後玉のカーブがきつく、大きく突出しているため、リアキャップは二重底の特殊なものがついていました。
前から凸レンズ、両凹レンズ、凸レンズ、凸レンズの4群4枚構成ですので、スピーディック型ですね。スピーディック型でF1.8まで明るくしたレンズにAstroのPan
Tachar 1.8があります。この型はテーラー・ホブソンのリーが1924年に設計に手順を発表しているので、1925年ころに流行ったのかもしれませんね。
後玉は分解できないのですが、2群2枚に違いないと思います。
後玉が後ろにこんなに飛び出しています。扱いにくいです。
前玉の外側に刻印があります。大きな文字です。
きれいなフランジが付属していたので、偽ペンタ67アダプタを簡単に作ることができました。ペンタ67の中間リングを切って、削って接着剤でフランジに貼れば完成です。後で考えると、6x9cmまでカバーするわけですから、偽ペンタ67マウントではなく、正ペンタ67マウントにするべきだったですね。
偽ペンタ67マウントを取り付けると、うまく後玉を保護できます。
ペンタ67のチューブより太いレンズは大迫力です。さて、どのように写るのでしょうか。
2008.4.7 Gauss Tachar 1:2 100mm
Astro-Berlin No55977 C Gauss-Tachar 1:2 100mm
シネ用のガウスタッカー100mmで、ハッセルマウントに改造されています。割と新しい玉のようでして、ブルーっぽいコーティングがかかっています。
刻印のフォントもモダンな感じです。Cというのはコーティングのことのようです。
ハッセルのヘリコイドに入っています。前玉ははずれますが、後玉は簡単にははずれません。見たところ名前通り4群6枚のダブルガウスのようですので、分解するまでもないと思います。
ハッセルのヘリコイドはペンタ67のヘリコイドチューブと同じくらい伸びるようです。動きはとてもスムーズです。
ハッセル・ニコンアダプタと、ニコン・EOSアダプタを介して、EOSに取り付けられます。改造の必要はありません。
EOSに取り付けるとこうなります。さて、どんな描写をするのか。楽しみです。
2008.4.6 富岡光学のローザー
2008.4.2の日記「日本光学アニターと山崎光コンゴーと小西六ヘキサー」でこの三社がほぼ同じ時期に国産レンズを作ったと書いたのですが、どうやら間違いのようです。富岡光学が抜けているのは大きな間違いのようです。たまたま写真工業2003年11月号を読んでいたら、「富岡光学とローザー」(菅野経敏氏)という記事が出ていましたので引用させて頂きます。
(初代社長の富岡正重氏は)「1917(大正6)年には陸軍技師を退職し、日本光学工業(現・ニコン)にレンズの設計主任として入社する。1917年の日本光学工業、それは同年7月25日に設立されたばかりの会社であった。富岡正重は、その日本光学工業でレンズの設計主任、潜望鏡製造工場主任を経て、1924(大正13)年に独立する。東京府荏原区小川町(現在の東京都品川区荏原)に富岡光学研究所を設立した。研究所設立後は写真用レンズの研究・製造に力を注ぎ、特に高級レンズを志した結果、1930(昭和5)年には日本最初のF4.5のテッサータイプレンズ「ローザー(LAUSER)」の製造に成功する。「ローザー」は市場においても小西本店の「ヘキサー(HEXAR)」、山崎光学の「コンゴー(CONGO)」とともに「和製テッサー」の評価を得て高い人気を博した。」
古いコンゴーとヘキサーは時々中古屋さんで見かけますが、アニターとローザーと見たことがありません。
2008.4.5 軍隊の階級呼称
昔プライベート・ベンジャミン(1980年)という映画を見たとき、プライベートの意味が分からなかったのですが、二等兵の意味だということにやっと気付きました。で、以前から軍隊の階級を英語でなんというのかが気になっていたので、Wikipediaで軍隊における階級呼称一覧を調べてみたのですが、恐ろしく複雑ですね。アメリカでも、陸軍と空軍で呼び方が違うらしいです。アメリカ陸軍の場合だと次のようになるようです。
二等兵 Private
一等兵 Private
上等兵 Private First Class
兵長 Corporal/Specialist
伍長・二等兵曹 Sergeant
軍曹・一等兵曹 Staff Sergeant
曹長・上等兵曹 Sergeant First Class
准尉・兵曹長 Sergeant Major of the Army/Command Sergeant Major/Sergeant
Major/First Sergeant/Master Sergeant
士官候補生 Cadet
少尉 Second Lieutenant
中尉 First Lieutenant
大尉 Captain
少佐 Major
中佐 Lieutenant Colonel
大佐 Colonel
准将 Brigadier General
少将 Major General
中将 Lieutenant General
大将 General
元帥 General of Army/General of the Armies of the United States
2008.4.4 開高健記念館
先週、中将姫光学さんに茅ヶ崎の開高健記念館を案内してもらいました。茅ヶ崎のラチエン通りの海岸近くのあり、茅ヶ崎駅から徒歩25分くらいで行けます。茅ヶ崎市が開高健が住んだ家を無料で公開しています。開館日は毎週、金・土・日曜日と祝祭日ですので、注意が必要です。開館時間は4月から10月は午前10時から午後6時(入館は午後5時30分まで)。開高健ファンなら是非訪れたい場所です。
私は昔開高健の文庫本を読んだ記憶がありますが、内容は全く覚えていません。テレビで見た幻の魚イトウを釣る映像の方が記憶にあります。なので、開高健ファンとはいえないのですが、大学の先輩であるというのは知っていました。私が学生時代に下宿していた大阪市住吉区杉本町に以前住んでいたそうです。
茅ヶ崎市東海岸のあたりは緑の多い閑静な住宅街で執筆には適しています。きっと筆が進んだことでしょう。
2008.4.3 アッベ博士の時代(13) 露土戦争
1877年(明治10年)、ロシアがトルコに宣戦し、露土戦争がはじまった。ロシア軍がコンスタンティノーブル城外に進駐すると、イギリス艦隊がダーダネルス海峡を無断通過し、コンスタンティノーブルの沖合いに停泊した。戦争を賭してでもロシアの南下を阻止しようとするイギリスの決意の表明である。イギリスの強硬な意思表示に驚いたロシアはトルコとの講和を急ぎ、1878年3月3日、サン・ステファノ条約を成立させた。しかし、この条約が履行されると、ロシアの勢力がバルカン半島に大きく伸びるものであったから、これに憤慨したオーストリアに提唱により、列国会議をがベルリンで開催された。イギリスもサン・ステファノ条約は中近東のイギリス帝国の利権に対する脅威であると考え、サン・ステファノ条約を列国で討議することを主張した。しかし、実際には会議の前に主要参加国の間で個別に取引が済んでおり、会議の成功は約束されていた。
ベルリン会議の結果を詳しく説明するときりがないのですが、この会議はその後の歴史に大きな影響を及ぼすのでした。”帝国主義の開幕”(中山治一著、河出文庫)から引用させて頂きます。
”トルコの領土保全を擁護するのにもっとも口やかましかった強国が、トルコ分割の率直な主張者であったロシアよりも、より多くのトルコ領土の略奪者であったことは、ベルリン会議がもたらした皮肉のひとつであったといわねばならない。ロシアがトルコから奪ったのは、ただコーカサス地方の二、三の都市と、ベッサラビアだけであった。しかもベッサラビアは、すでにそれ以前にルーマニアの一部として、事実上トルコの手から失われていたものであった。ところが、その反面、トルコの「保護者たち」は、ベルリン会議によってボスニア、ヘルツェゴヴィナ、ノヴィバザール、キュプロス、チュニスをトルコから奪い去った。つまり、「敵対的な」ロシアと「友好的な」オーストリアおよびイギリスとのあいだの勢力均衡を維持せんがために、トルコ帝国は、その領土のヨーロッパ的部分の大半を裂き取られたのである。”
この後歴史は、列強の地球規模での勢力拡大と、そして諸民族のナショナリズムの方向に向かいます。それまでの貴族や騎士の戦争や宗教対立による戦争から、民族あるいは国民国家間の総力戦に変わりつつあります。もはや国家的軍備増強以外に頼れるものはないようです。
2008.4.2 日本光学アニターと山崎光コンゴーと小西六ヘキサー
日本光学は1929(昭和4)年に軍用大型写真レンズを最初に製造しました。同年、一般用写真レンズであるアニター(Anytar)
12cm F4.5の試作にも成功します。ここで思い出すのが、山崎コンゴーレンズを作った山崎光七のことです。昨年の8月7日の日記に山崎コンゴーの完成が1927(昭和2)年とありますので、山崎コンゴーの方が2年ほど日本光学より早かったのですね。山崎光七氏が、ツアイスから送ってもらったガラスの順番を日本光学に、つまり競合他社に、調べてもらったというのが不思議だったのですが、この時点ではまだ日本光学はレンズを市販していなかったようですね。日本光学は案外、山崎光七氏が持ち込んだツアイスのガラスに興味があったのかもしれません。
国策に基づいて着実に基礎を固めた日本光学と、個人の情熱で突っ走った山崎コンゴーの対比が面白いと思いました。老舗の小西六はあせったかもしれませんね。しかし、小西六も昭和6年にヘキサーを開発するわけですから、ほとんど3社同時と言ってもいいかもしれません。
アニター12cm付きのリリーというめずらしいカメラがあるようです。以下は昨日と同じく、カメラレビュー クラシックカメラ専科 No.53
”50人のコレクターに聞く私の1題” 朝日ソノラマ刊(1999年12月発売)の中で矢沢征一郎氏が書いておられる”最初期の民生用日本光学製レンズ2種”という記事から引用させて頂きます。
”それは、元日本光学の常務であった森田茂之助氏の話である。森田氏によると、従業員仲間でアニターレンズを会社から分けてもらい、仲間が集まって小西六からレンズのついていないリリーのボディーを20台ほどまとめて購入し、日本光学で調整して取り付けたというものである。”
このカメラ、現存が確認されているのは2台だけだそうです。
2008.4.1 日本光学の設立
カメラレビュー クラシックカメラ専科 No.53 ”50人のコレクターに聞く私の1題” 朝日ソノラマ刊(1999年12月発売)の中に矢沢征一郎氏が”最初期の民生用日本光学製レンズ2種”という記事を書いておられました。この中に日本光学株式会社設立の経緯が書いてありましたので、引用させて頂きます。
”日本光学設立の動機は1914(大正3)年8月に勃発した第一次世界大戦の影響による。それまでは輸入に依存度の高かった光学製品、特に光学兵器は他国に任せていたが、時の海軍は分散している企業と光学技術を結集することで光学兵器の開発と生産増大を促進しようと図った。そして、海軍とのつながりの深い造船所をもつ三菱合資会社の岩崎小弥太社長にその相談が持ち込まれた。軍の強い要請に応えて、三菱は光学工業に進出することを決意する。さらに、三菱の資本力で新会社を設立するに当たり、既存事業を吸収することでスタートすることを決定する。吸収統合するメーカーは、東京計器製作所・光学計器部、岩崎硝子製造所・反射鏡部、藤井レンズ製造所の3社であったが、藤井レンズ製造所のみは買収できず、1917(大正6)年7月25日、社名を「日本光学工業株式会社」として発足した。藤井レンズ製造所が日本光学に参加したのは、1918(大正7)年8月になってからである。”
藤井龍蔵氏の働きによって、1921(大正10)年1月、ドイツから優秀な技術者8名を5年契約で招聘しました。数学者のランゲ博士、レンズ設計のアハト氏などです。8名のうちランゲ博士ら2名は日本で病死。アハト氏を除く5名は契約期間満了を待たずに帰国。ハインリッヒ・アハト氏だけが1928(昭和3)年まで日本に滞在し、写真レンズの設計に取り組みました。アハト氏は口径比F6.8からF2まで、焦点距離75mmから500mmまでの3枚構成から6枚構成の5タイプの写真レンズを設計・試作し、日本光学の基礎的役割を果たしたといわれているそうです。
1928年以前にF2のレンズが日本光学で開発されていたとは驚きました。6枚玉F2のレンズは、最初のオピックが1920年、エルノスターが1923年、クセノンが1925年、ビオターが1927年、スピードパンクロが1931年、ズマールが1933年です。いくらドイツの技術者を招いたとはいえ、本家のイギリスやドイツにとほぼ同時に日本光学でF2のレンズが設計されていたとは知りませんでした。
2008.3.31 アッベ博士の時代(12) イタリア統一の苦しみ
イタリアはローマがあり、教皇庁があり、歴史的にも文化的にも宗教的にもヨーロッパの中心であるわけなのですが、なかなか国民国家として統一できせん。民衆は40年にもわたって何度も何度も蜂起し、何度も何度も鎮圧されます。本当に申し訳ないくらい鎮圧されます。日本の明治維新がスムーズに進んだのが奇跡に思えます。ヨーロッパ中に革命の嵐が吹き荒れた1848年、フランスが共和制になり、ウィーンの革命がメッテルニヒを失脚させます。イタリアでも教皇ピウス9世が革命支持の姿勢を見せ、イタリア統一がなるかと思われたのですが、結局は失敗に終わります。”物語イタリアの歴史”(藤沢道郎著、中公新書)から引用させて頂きます。
”しかしそれは、革命の高波が続いている間だけのことだった。パリでもウィーンでも事態が収拾され、革命の興奮がおさまって秩序が回復され始めると、イタリアの形勢も逆転した。まず脱落したのが教皇ピウス。全世界に数億の信徒を有する超民族的宗教団体が、イタリア民族主義に荷担できるはずもない。オーストリア国民の大多数もカトリック教徒なのである。それに、教会が世俗権力への従属を免がれるためには、教皇庁の存在するイタリアに統一した強力な権力を成立させないというのが、伝統的なカトリックの政策である。”
2008.3.30 携帯電話のカメラ
東京タワーの近くに仕事で行ったとき、桜がきれいだったのですがカメラを持っていなかったので、携帯電話で撮影しました。これがなかなか面白いのです。携帯電話のカメラはレスポンスが非常に遅く、シャッターを押してから0.5秒〜1秒くらいしてから撮影を開始し、1/30秒か1/15秒くらいはシャッターが開いているようです。日中晴天なので一眼レフではF8
1/250秒くらいじゃないかと思うのですが、その10倍くらいの長時間シャッターが開いているようです。もちろん機械式のシャッターはついていません。電子的にゆっくり撮像素子のデータをメモリーに送っているらしいのです。携帯電話の写真がぶれやすいのは多分このような仕組みによるのではないかと思います。
ですので、携帯電話で写真を撮るときは、シャッターを押してから2秒ほど携帯電話を動かさなければいいわけです。カシャッとシャッター音がしてから、1秒ほど待てばいいのです。でもこれは普通とてもイライラします。
携帯で20枚〜30枚撮影したところで、コツが分かりました。撮像素子からの読み出しが遅いということは、一眼レフにはない特徴です。ということは一眼レフでは撮れない写真が撮れそうです。やってみると、まったくその通りでした。ブレが均一ではないのです。画面内の狭い範囲では、読み出し時刻が近いため実効的なシャッタースピードが速く、画面全体では実効的なシャッタースピードが遅いのです。これをうまく利用すると、画面を故意に歪めるとか、画面のある部分だけをブラさずそれ以外をブラすとか、いろいろできるようです。ちょっと時間が空いたときに研究できるので良い暇つぶしになると思います。
2008.3.29 アッベ博士の時代(11) ヴェルディ
アッベ博士の時代にイタリアがどんな状態だったのか調べてみたのですが、イタリアの歴史は非常に複雑で、容易には理解できません。イタリア半島にローマやベネチアやロンバルディアやトスカーナやナポリはあっても国民国家はなかなかできません。軍事的には時代によってスペインやオーストリアやフランスの支配下に入ります。カトリックの世界ではローマ教皇を頂点とする教会組織があり、それを現世で支えるのがローマ皇帝であったわけです。ローマ皇帝がオーストリアにいれば、当然オーストリアの軍隊がローマ教皇領の警備にあたることになります。このような状態から、1802年にナポレオンの侵略によりイタリア共和国ができ、ナポレオン没落、メッテルニヒのオーストリアによる復古となります。1820年の炭焼党の騒乱に始まり、何度も何度も暴動や民衆の蜂起がありますが、1861年のイタリア王国創立まで40年にも及ぶ長い統一の苦しみを味わうことになります。
話は変わりますが、オーストリアの皇女でナポレオンパルマの皇妃であったマリア・ルイジアの統治下であったパルマ公国出身に作曲家ヴェルディは生まれました。このような時代背景において、ヴェルディの歌劇は、イタリア人の民族感情を燃え上がらせたのでした。さらに、ヴェルディの名前がイタリア民族統合の象徴であるイタリア王ヴィットリオ・エマヌエーレの略号と偶然同じであったのです。”物語イタリアの歴史”(藤沢道郎著、中公新書)から引用させて頂きます。
(ksmt.com補足:イタリア統一の前年、すなわち1860年のことです) ”それに、自分も知らない間にヴェルディは王制統一派のシンボルとなっていた。偶然のことながら、ヴェルディ
Verdi という名の綴りはそのまま、「イタリア王ヴィットリオ・エマヌエーレ」すなわちVittorio
Emanuele re d'Italia の略号になっていたのだ。「ヴェルディ万歳」という叫びは、イタリア統一国家の要求を表した。『仮面舞踏会』のローマ公演では、観客は何度もヴェルディ万歳を絶叫、教皇国家の官憲も、この叫びを弾圧するわけにはいかなかった。”
ヴェルディ(1813−1901)はアッベ博士より27歳年上ですが長生きしたので、アッベ博士の亡くなる4年前まで生きています。アッベ博士とどこかで一度くらい会っていたかもしれませんね。
2008.3.28 アッベ博士の時代(11) 国民国家
”ロスチャイルド家”(横山三四郎著、講談社現代新書)に次のような記述があります。私の感想をうまくまとめてありますので、引用させて頂きます。
(ksmt.com前説:産業革命以前の戦争は、国家の戦いというよりは、王様や皇帝の間の戦いだった。日本の戦国時代と同じように、土地を所有する貴族や領主は勝ちそうな方、すなわち金持ちの方に寝返るので、お金がないと戦争に勝てなかった。その莫大なお金はロスチャイルド家から借りるしかなかったので、ロスチャイルド家がお金を貸さないと、どの国も戦争ができなかった。)
”始末の悪いことに産業革命によって各国は経済力をつけるとともに、その製品のはけ口としての市場を奪い合うようになって、争いは容易に軍事衝突にエスカレートするようになってきた。同時に人々の国家意識が高揚して、封建領主の土地に細分化されていたドイツやイタリアにも国民国家を求める機運が高まった。弱肉強食の不安定な政治情勢になかで人々がある程度の国家にまとまる必要を覚えたためだったともいえる。”
2008.3.27 VHSビデオデッキが壊れWWPのネタに
World Wide Panoramaの2008年春分のテーマは"Beginnings"。先日うちのVHSビデオデッキが壊れて、ビデオテープがぐしゃぐしゃになったので、これを分解して作品化しようと考えました。久しぶりに磁気テープがぐしゃぐしゃになるのを見て懐かしかったです。幸い東芝がHD-DVDの撤退を発表(多分大英断)しましたので、これをBlu-rayの"Beginnings"と解釈してみました。さらばVHS、ようこそBlu-ray。でも、実際には普通のDVDで問題ないわけでして、Blu-rayを買ったわけではありません。
VHSビデオデッキの分解は割と大変です。ビスの本数を減らしてファスナーを多用しているためです。ばらばらに分解して、ついでにビデオテープのカセットも分解して、磁気テープを引っ張り出して、撮影。円周魚眼レンズをストロボ一灯で使うのはなかなか難しかったです。数時間かかって、何とか作品を完成しました。
編集が終わって、ばらばらに分解されたビデオデッキを再組み立て。これは至って簡単で、1分以内で終了。ファスナーは押せば一発で組み立てられるが、分解は困難なものなのでした。徹底して組み立てコストの削減が行われているのに感心しました。
2008.3.26 Speed Panchro 2/75mm 再改造
75mmレンズ対決にスピードパンクロを参加させたかったのですが、何しろ絞り開放固定の暫定改造なので、参加できなかったのです。そこで、絞り値が変えられるように再改造しました。実は以前再改造を試みたのですが、見事に失敗しました。今回はリベンジです。何しろバックフォーカスが短くて、絞り輪の位置が悪いので、どうやってもヘリコイドの外に絞り輪を引き出せませんでした。
真ん中のが絞り輪です。レンズのど真ん中にあり、太さが筒と同じなので、どうにもなりませんでした。今回はペンタ67のヘリコイドに入れたので、このような姿になりました。前玉にバヨネットマウントを取り付けてあります。バヨネットをはずして、この状態で絞りを変えます。後玉にマウントを取り付けるのは困難ですし、仮に取り付けられたとしても、前玉が大きく絞り輪まで手が届きません。
前玉の先端にビス3本でとめています。
正面から見たところ。
後ろから見たところ。
これをペンタ67のヘリコイドチューブに入れます。
後玉の最後部は、だいたいEOSのフランジ面あたりに来ます。75mmのダブルガウスはみんなこんな感じですね。
EOSに取り付けたところ。これじゃ誰もスピードパンクロだとは気づきませんね。でも、やむを得ません。
中間リングがフードの変わりになります。
ペンタ67のボディーキャップがフタになります。
2008.3.25 EOS 5D修理後(訂正)
3月5日の日記で、” (3) バッテリーの持ちが悪くなったような気がする。以前は800枚くらい撮れたのが今は600枚くらい。”と書いたのですが、どうやら修理のせいではなく、ただ寒かっただけのようです。春になって気温があがってきましたら、また800枚以上撮れています。訂正します。
2008.3.24 アッベ博士の時代(10) 帝国主義という言葉
”ここで、この「帝国主義」ということばについて、少し説明しておきたい。当時イギリスで刊行されていた一評論雑誌の1878年12月号に掲載されたある論文の中に、「われわれは、最近われわれのあいだにひろまった帝国主義ということばによって、当惑させられている・・・・・・いままでわれわれは、帝国の利害とか帝国的政策とかいうことについてはきいていたが、しかし帝国主義というのは、新しい概念である」”(帝国主義の開幕 中山治一著 河出文庫から引用)
1878年(明治11年)になってようやく”帝国主義”ということばが一般に使われるようになったようです。ただし、その意味は現在我々が使う批判的な意味ではありませんでした。また、イギリス国内問題に関する非常に限られた意味しかありませんでした。すなわち、自由党内閣や世論の植民地問題に対する無関心さに対する、植民地主義者や植民地官僚の反自由党的な運動や主張や運動を意味していました。
2008.3.23 アッベ博士の時代(9) 帝国主義直前
”19世紀なかごろの時点にたってみると、その産業が機械化され、いわゆる工業化されていた国は、世界中でただイギリスだけであった。そのような状況のもとでは、いわば全世界のいたるところがイギリス製品の販売市場であって、そのばあい、自国の植民地だとか他国の植民地だとかを区別する必要はなかった。” (帝国主義の開幕 中山治一著 河出文庫から引用)
ペリーの黒船が浦賀にやってきたのが1853年ですが、まだ当時のイギリスでは自由貿易政策がとられ、植民地無用論があったようです。しばらくしてヨーロッパの列強が工業化され、鋼鉄、石炭化学、化成肥料、銅、錫、アルミ、セメント、白熱灯、合成染料、紙、化学繊維、自動織機、ミシン、タイプライター、電気のこぎり、印刷、動力旋盤、陶器、ダイナマイトなど、次々と大量生産できるようになると、その市場と原料を求めて、植民地争奪戦がはじまったようです。